自民党参議院議員会長
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この選挙の結果、参議院では再び与野党が逆転したため、野党側から参議院議長、議院運営委員長のポストの獲得を目指す動きが起こり、次期参議院議長候補に山東昭子、尾辻秀久らとともに名前が挙がった。しかし、野党共闘は不調に終わり、自民党は議院運営委員長に参院国会対策委員長の鈴木政二を送り込んだものの、議長のポストは獲得できず、参議院議長には民主党の西岡武夫が選出された。あわせて尾辻秀久が副議長に就任したため、空席となった参議院議員会長に町村・額賀・古賀の3派閥が推す参議院幹事長の谷川秀善が名乗りを上げると、中曽根は「派閥均衡や年功序列によらない人事」を掲げて立候補した。中曽根の出馬により従来の無投票選出の慣例が破られ、8月11日に自民党結党以来初めて、参議院議員会長選挙が実施された。なお、初当選以来一貫して父・康弘が率いる中曽根派及びその後継の派閥(渡辺美智雄派 - 村上・亀井派 - 江藤・亀井派 - 亀井派 - 伊吹派)に所属していたが、2010年8月、「脱・派閥」を掲げて参議院議員会長選挙に出馬するために伊吹派を退会した。 参議院自民党の所属議員83人のうち82人(山田俊男は海外出張中であり、期日前投票の制度が設けられていないため棄権)の投票の結果、谷川・中曽根の両者が40票で同数だったためくじ引きが行われ、中曽根が参議院議員会長に就任した。 2010年9月14日、新しい取り組みとして、長時間をかけて今後の党運営や参議院の在り方について党所属参議院議員と自由に意見交換する目的で、自民党参議院議員総会が開催された。旧来の自民党参議院議員総会では、本会議の15分前からスタートして短時間で終わることがほとんどであった。 2011年10月、参院自民党役員人事で当初幹事長の小坂憲次と政策審議会長の山本一太の再任を模索していたが、町村・額賀・古賀3派の反対により断念し、「鴻池祥肇幹事長・山本一太政策審議会長」の人事案を提案するも、議員総会で否決され、人事の再考を余儀なくされる。結局小坂、山本のいずれも退任させ、元国家公安委員会委員長の溝手顕正を参院幹事長に、元内閣官房副長官の岩城光英を参院政策審議会長に、町村・額賀・古賀3派の意向を汲んで起用した。 2013年7月、参議院議員会長を退任した。
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