自民党入党、衆議院議員、福岡市長
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「進藤一馬」の記事における「自民党入党、衆議院議員、福岡市長」の解説
戦後12月2日、連合国軍最高司令官総司令部は日本政府に対し進藤を逮捕するよう命令(第三次逮捕者59名中の1人)。A級戦犯容疑者として巣鴨拘置所に勾留されるが、起訴されずに釈放された。しかし、玄洋社と東方会の役員をしていたため公職追放となる。 戦後に旧玄洋社社員の後援を受け、1958年(昭和33年)に自由民主党公認で福岡県第1区より出馬し当選。通商産業・法務各政務次官を務めたのち、1972年(昭和47年)に福岡市長選に出馬し当選。同年9月16日より第25代福岡市長に就任し、4期当選したが、任期途中の1986年(昭和61年)11月8日に健康上の理由により辞職、引退した。 政界引退後、玄洋社記念館長を務めた。1987年(昭和62年)2月18日に福岡市名誉市民選定。 1992年(平成4年)11月28日死去。享年88。現在、福岡市中央区にある福岡市美術館に銅像が設置されている。
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