自由民主党副総裁
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自由民主党副総裁(じゆうみんしゅとうふくそうさい)は、自由民主党の役職の一つ。現任は麻生太郎(第17代)。
- ^ 党則
- ^ “宮沢喜一総裁時代 | 歴代総裁 | 党のあゆみ | 自民党について | 自由民主党”. www.jimin.jp. 2021年11月28日閲覧。
- ^ 芹川洋一著、平成政権史、日経プレミアシリーズ、2018年、43-45頁、日本経済新聞出版社
- ^ 日本放送協会. “炎と優しさ 仙谷の来た道 | 特集記事”. NHK政治マガジン. 2021年10月8日閲覧。
- ^ “与謝野、園田、谷垣、大島ーー菅直人政権の命運を握る仙石由人の「知られざる人脈」(歳川 隆雄) @gendai_biz”. 現代ビジネス. 2021年10月8日閲覧。
- ^ “横綱審議委員に大島理森前衆院議長 大正製薬の上原茂社長も”. 毎日新聞. 2023年1月26日閲覧。
- 1 自由民主党副総裁とは
- 2 自由民主党副総裁の概要
- 3 概要
- 4 歴代自由民主党副総裁一覧
- 5 記録
自民党副総裁
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 15:50 UTC 版)
1972年(昭和47年)7月、佐藤の後任を巡る自民党総裁選は、田中角栄と福田赳夫を主体として争われた。椎名は椎名派を率いて田中を支持し、田中が総裁に就任した。翌8月、椎名は田中により自民党副総裁に起用された。田中は日中国交正常化を決断し、9月に椎名を政府特使に任じて台湾に対する理解を求めるため訪台させた。椎名は蔣経国行政院長、沈昌煥(中国語版)外交部長らと会談して日中国交回復の政府方針を説明したが、反対するデモ隊から激しい抗議を受けた。椎名は中華民国民意代表との座談会において、台湾との外交関係も含めたあらゆる関係を維持した上で、日中正常化交渉を進めるべきことが決定されたとする考えを公式に示した。しかし、これは自民党の方針とは異なるものであり、蔣からは厳しく追及され、大平からは「儀礼的なもの」と突き放された。椎名が台湾から帰国すると田中首相と大平外相は北京で周恩来首相と会談して、日中国交正常化が合意され、文書に調印された。大平は日華条約破棄と日台国交断絶を宣言した。 1974年(昭和49年)になると金大中事件や文世光事件により日韓関係は険悪化した。9月に椎名は田中の要請を受けて訪韓し、この問題の鎮静化に向けて朴大統領と会談した。椎名は文世光事件の発生を謝罪し、事件の再発防止策、韓国への捜査協力、反韓活動の取り締まりなどを約束する田中の書簡を朴に手渡した。この会談により日韓関係の悪化は収拾に向かい、韓国内の反日デモは終息した。
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