臨時全ロシア政府時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/07/13 06:54 UTC 版)
1918年12月、最高司令官(アレクサンドル・コルチャーク)スタフカ設立後、シベリア軍は一旦解散され、第1ステップ・シベリア軍団、第3ステップ・シベリア軍団、ヴォトキンスク師団、クラスノウファ旅団から成るシベリア軍が新たに編成された。 1919年1月~2月の間は防御に徹し、混成軍団編成後の3月4日、第2赤軍及び第3赤軍に対して攻勢転移し、オハンスクとオサを奪取した。4月にはサラプル、ヴォトキンスク、イジェフスクを奪取したが、赤軍により奪還され、5月、南部からの包囲を恐れて撤退を始めた。6月、グラゾフを奪取したが、退却を余儀なくされ、7月にはザウラリエに圧迫された。7月22日、シベリア軍は第1シベリア軍(チュメニ方面)と第2シベリア軍(クルガン方面)に分離され、第3軍と共に東部戦線を構成した。 1919年8月~10月、トボリ攻勢作戦に参加。11月~12月、赤軍により撃破され、ザバイカリエまで圧迫された。部隊は、1920年11月まで抵抗を続けた。 その後、中国に撤退し、1921年、沿海地方白軍(ロシア語: Белое Приморье)に編入され、ヴォロチェフカ、スパスクの戦いに参加した。1922年10月、朝鮮と中国に撤退した。
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