能登有料道路時代とは? わかりやすく解説

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能登有料道路時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 22:58 UTC 版)

のと里山海道」の記事における「能登有料道路時代」の解説

有料道路時代能登有料道路という道路名で、能登海浜道路金沢市粟崎 - 徳田大津IC)と能登半島縦貫有料道路徳田大津IC - 穴水町此木からなる自動車専用道路であった当時地図により「能登有料道路」や「能登道路」の表記見られ石川県道路公社能登有料道路表記していた。1990年平成2年)から石川県道路公社により管理・運営され、全長82.9キロメートル (km) は地方道路公社運営する一般有料道路としては日本最長であった本線上およびインターチェンジランプウェイ部に4か所(内灘今浜上棚矢駄横田)インターチェンジランプウェイ部のみに2か所(白尾米出)の料金所があり、料金所通過するときにその前の料金所からの区間料金支払う必要があった。ただし、高松IC - 県立看護大IC間、千里浜IC - 柳田IC間、西山IC - 徳田大津IC間は料金所設けられていなかったため、これらの区間限定通行では実質的に無料利用できた。 旧能登有料道路時代に、2度大きな自然災害見舞われている。1985年昭和60年7月豪雨災害により、柳田IC - 此木IC(現・穴水IC)で大小合わせて30か所、延べ1,370メートル (m)わたって路盤崩落し法面崩壊などが起こった復旧作業により、同年7月25日片側交互通行暫定開通し1986年昭和61年7月30日完全復旧した。もう一つは、2007年平成19年3月25日能登半島地震により、徳田大津IC - 穴水ICで8か所の路盤崩落発生した。このとき、 同年4月27日には迂回路設けるなどして全線2車線暫定開通し同年11月30日本線上の全ての被災箇所における補修工事完了した料金徴収期間は、当初2014年平成26年1月29日までとしていたが、北陸新幹線金沢延伸開業見据えてアクセス道路利便性高めて交流人口拡大目指すために、2013年平成25年4月1日からの無料化決定し横田料金所にて式典を行うに当たり、同年3月31日正午前倒しされた。無料化によって、公募より道路名は「のと里山海道」と改められ、これに伴って石川県道路公社管理道路すべてが無料化される運びとなり、同公社廃止された。なお、全体建設費は約461億円で、石川県道路公社債権135億円を放棄したことにより無料化実現した無料化により、 のと里山海道降りて一般国道159号および249号などの沿線スポット地元商店街をゆったりと堪能したのち、再びのと里山海道乗っても、通行料金生じないのと里山海道混雑区間避けるために一般道迂回したのち、再びのと里山海道乗っても、通行料金生じない。 など利便性格段に向上した

※この「能登有料道路時代」の解説は、「のと里山海道」の解説の一部です。
「能登有料道路時代」を含む「のと里山海道」の記事については、「のと里山海道」の概要を参照ください。

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