こうさんじ 【耕三寺】
耕三寺
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耕三寺(こうさんじ)は、広島県尾道市(生口島)に所在する浄土真宗本願寺派の仏教寺院。山号は潮声山(潮聲山)。1936年(昭和11年)から伽藍の建立が始められた新しい寺院で、日本各地の古建築を模して建てられた堂塔が建ち並び、「西の日光」「母の寺」とも呼ばれる。このうち、山門・本堂をはじめ15の建造物が国の登録有形文化財として登録されている。また、仏像、書画、茶道具などの美術品・文化財を多数所蔵し、寺全体が1953年3月14日より博物館法による登録博物館となっている[1]。無檀家寺院でもある[2]。
- 1 耕三寺とは
- 2 耕三寺の概要
耕三寺
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母ヤツの実家である生口島瀬戸田町との関係は、大阪で成功したこの頃から始まる。1927年(昭和2年)まず母の別荘として潮聲閣を建て始め、1929年(昭和4年)には島の塩田を買収している。 1934年(昭和9年)、母ヤツ死去。以降仏教に帰依するようになり、母の菩提寺を瀬戸田に建立しようと動き出す。1935年(昭和10年)浄土真宗本願寺派で得度、法名「耕三」を受ける。1938年(昭和13年)山梨県東山梨郡菱山村(甲州市勝沼町菱山)の得祐寺住職に就任、翌1939年(昭和14年)得祐寺を瀬戸田に移転することを許可され、1940年(昭和15年)径大鋼管社長を辞任、1943年(昭和17年)寺号を「耕三寺」に変更することを許可される。耕三寺の建立は、瀬戸田町からは郷土の発展と失業者対策として期待されたこともあり、様々な様式を取り入れた壮大な寺院が出来上がっていき、附属博物館などとともに晩年まで建立は続いた。 また、瀬戸田病院の新設や瀬戸田学園理事長となり新校舎を新築している。これが現在は尾道市立市民病院附属瀬戸田診療所、広島県立瀬戸田高等学校として存続している。 1953年(昭和28年)、瀬戸田町名誉町民に顕彰。1970年(昭和45年)、耕三寺孝庵にて死去。享年78。
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