総蜂起
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/07 22:28 UTC 版)
原爆投下直後の1945年8月中旬、日本のポツダム宣言受諾は近いとの情報を得たホー・チ・ミンは、8月13日夜、総蜂起の指令を発した。8月14日には日本政府が降伏を予告し、8月17日には、ハノイ(河内)でチャン・チョン・キム(陳仲金)政府を擁護する集会がベトミンの扇動によって乗っ取られ、ベトナム完全独立を叫ぶ大衆デモに移り、革命は始まった。19日には、ハノイのベトミンは、保安隊や警察署など政府機関の接収に成功した。保安隊や警察も大勢を見て、ベトミン側に付く者が増えていった。既に降伏を命令されている日本軍は、ただ事態を傍観するばかりであった。 8月23日にはフエ、25日にはサイゴンでも人民蜂起によってベトミンが権力を奪取し、26日にはホー・チ・ミンがハノイに入った。そして8月30日、フエの保大帝(バオ・ダイ)は「退位勅書」を発して退位を宣言した。そして、日本政府がポツダム宣言に調印した9月2日に、ホー・チ・ミンはハノイ市内の大広場で大衆集会を開催し、ベトナム民主共和国の独立を宣言した。こうして、1945年9月2日に阮朝は崩壊した。 日本軍は自らの武器の引渡しは拒絶したが、フランス軍から没収した武器の引渡しには積極的に応じた。また、多くの日本軍将兵が軍を脱走してベトミンに参加、ベトナム人兵士への軍事訓練を行った。 9月3日以後も、フランスがまだ復帰していない権力の空白に乗じて革命を成就させたベトミンは、その後も着実に力を蓄えていく。
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