絹本著色武田信虎夫人像〈武田信廉筆/〉
主名称: | 絹本著色武田信虎夫人像〈武田信廉筆/〉 |
指定番号: | 319 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1903.04.04(明治36.04.04) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 絵画 |
ト書: | 詠歌及賛文アリ |
員数: | 1幅 |
時代区分: | 室町 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 室町時代の作品。 |
絹本著色武田信虎夫人像
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/07 08:00 UTC 版)
「長禅寺 (甲府市)」の記事における「絹本著色武田信虎夫人像」の解説
甲斐国西郡の国衆・大井信達の娘で武田信虎の正室となった大井夫人(瑞雲院殿)の肖像画。大井夫人を母とする武田信玄の弟・信廉(逍遥軒信綱)による筆。戦国時代・天文22年(1553年)の筆。寸法は縦87.6センチメートル、横37.3センチメートル。大井夫人は武田氏と大井氏の和睦により永正17年(1520年)に信虎に嫁し、当主となった晴信(信玄)のほか信繁・信廉らの生母となった。天文10年(1541年)の信虎追放後は甲府の躑躅ヶ崎館北曲輪に居住して「御北様」と称せられ、天文21年(1552年)5月に死去した。室町時代には禅宗の影響を受け数多くの肖像画制作が行われているが、本像は天文22年(1553年)に大井夫人の一周忌に際して描かれた供養像。 画面下部に上畳の上に坐して合掌する法体(比丘尼)の夫人像が描かれる。画面の上半は、最上段に色紙形2葉を画して夫人自詠の和歌「春は花秋は紅葉の色ゝも 日かずつもりて散らばそのまま」が記され、その下には信虎の創建した甲府大泉寺の住職安之玄穏が賛文を書している。 本像は信廉21歳の作例で、年記が知られている信廉の作品では初出のものとされる。なお、信虎が創建した大泉寺には天正2年(1574年)に描かれた信廉筆の「武田信虎像」が所蔵されており、こちらには長禅寺二世住職の春国光新が賛文を寄せ両寺の交流を示している。 画風は硬直しやや稚拙であると指摘されるが、同時期の夫人像で法体の供養像である作例は少なく、合掌する手がやや小さいことから男性像の粉本を転用した可能性も指摘されている。
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