結成に至るまで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/29 09:03 UTC 版)
「ROUTE 66 (ロックバンド)」の記事における「結成に至るまで」の解説
森雅裕と齋藤邦男は中野富士見中学校(現南中野中学校)の同級生で、同校を卒業して暫く経ったころにTHE ROWDIESというバンドを結成し森氏はボーカルを、齋藤氏はギターをそれぞれ担当。地元の南部青年館などでギグを行ない、音楽活動をスタートさせる。また、2人はローラー族として週末には原宿の通称ホコ天(歩行者天国)で踊ったりもしていた。 1981年前半、当時過激なライブパフォーマンスでロックシーンと世間を騒がせていたTHE STALINのギグへ行った時に、同中学校で一年後輩の石井明夫氏と偶然再会する。石井氏はそのころ病原体というパンクバンドを率いて、自身はボーカリスト兼ベーシストとして活動していた。この時のTHE STALINのギグから数ヵ月後、森氏は病原体とMIDDLE→CLASSのギグに訪れる。その時に石井氏からMIDDLE→CLASSのドラマーとして活動していた近藤一也氏を紹介される。近藤氏は石井氏と同じ高校の同級生で、軽音楽部では石井氏と一緒にバンドを組んでいた。病原体もMIDDLE→CLASSも精力的に活動していたが、このころには両バンドともほとんど同時期に解散することが決まっていた。そこで石井氏は、ギグに訪れた森氏へ新バンド結成のオファーをする。近藤氏と意気投合した森氏はオファーを受けることに決め、THE ROWDIESで一緒だった齋藤氏とともに参加。ボーカル・森氏、ギター・齋藤氏、ベース・石井氏、ドラム・近藤氏というラインナップでBREAKING GENERATIONを結成する。 同年11月、目黒ROCKYにおいてファーストギグを行なう。翌年1月20日には新宿STUDIO JAM主催による日本初のハードコアパンクのシリーズギグであるEMOTIONAL MARKET/PUNK PARTYに出演。同月24日、渋谷PURUCHINERAで行なわれたTHE STALINのギタリスト・TAM氏主催によるADK-DAY 3/PUNK DAYに出演し、EXECUTEやPRETTY COCKSなどと共演する。このころのギグは演奏中に灰皿やグラスなどが飛び交う荒れたギグで、飛んできたグラスが森氏の顔に当たり、血を流しながら歌ったこともあった。 その後、森氏は時代の変遷や今後の活動を通してバンドに音楽的な変化が表れた時のためにも、BREAKING GENERATIONというネーミングから生じるある種のイメージに捕われない方が今後の活動にプラスになるのではないだろうかという考えと、単純に短いネーミングの方が人に覚えてもらいやすいだろうという考えを抱き、バンド名の改名を提案する。メンバーの合意を得た森氏は、初期ロンドンパンクとともに彼らが影響を受けた50's・60'sロックンロールのスタンダードナンバーのタイトルを借用し、それを新たなバンド名とした。ここにROUTE 66が誕生する。
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