経済問題と消費の停滞
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/03 05:35 UTC 版)
「アルゼンチンワイン」の記事における「経済問題と消費の停滞」の解説
20世紀のアルゼンチンのワイン業界は国家の経済状況に大きな影響を受けている。1920年代のアルゼンチンは世界で十指に入る裕福な国であり、豊かな国内市場がワイン産業を強固なものとした。しかし、1929年以後の世界恐慌では重要な輸出収入や国外からの投資が減少し、アルゼンチンのワイン産業は停滞した。1940年代以降のフアン・ペロン大統領体制下では経済が一時的な復活を見せたが、1960年代から1970年代の軍事独裁政権下ではすぐに停滞した。この時期のワイン産業は安価なテーブルワインの国内消費に支えられていた。1970年代初頭時点でアルゼンチンの年間ワイン消費量は90リットル/人(24ガロン)であり、イギリスを含む大多数の国よりも遥かに多くの量を消費していた。アルゼンチンと同じ新世界では、同時期のアメリカ合衆国の1人あたりワイン消費量は3リットル/年(1ガロン/年)に過ぎなかった。1960年代から1982年代まで高い税金が採用されたことで、低品質のワインが生産され続けるという状況に陥った。 1980年代には最大で年間12,000%となるハイパーインフレの時代を迎え 、国外からの投資は停滞した。1982年から1992年には大規模なブドウの木の引き抜きが行われ、ブドウ畑の36%が失われた。1989年に大統領に就任したカルロス・メネム政権下では、いくぶん経済が安定した。アルゼンチン・ペソに有利な為替レートの兌換期間中には再び国外からの投資が流入したが、この時期には国内消費が劇的に低下した。清涼飲料やビールの普及によって、1991年には年間消費量が55リットル/人まで下落した。
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