第56師団の芒市付近の持久戦
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「断作戦」の記事における「第56師団の芒市付近の持久戦」の解説
第2師団と配備を交代した第56師団は、引き続き龍陵・芒市付近にて陣地強化と情報収集に努めた。この頃までに得た傍受電によれば、16個師に上る雲南遠征軍の攻勢戦力も、度重なる激戦により極度に低下しているものと判断されたが、遠征軍は空輸等の輸送力強化により、兵員・軍需品の補給に努めていた。第56師団は諸情報を総合し、遠征軍の本格的攻勢開始はおおむね10月下旬以降であり、その主力で龍陵を、一部で芒市を奪回することを企図するものと判断した。この判断は的中し、10月29日に遠征軍の総攻撃が開始された。 そして11月1日以降、遠征軍の攻勢はいよいよ本格化し、守備兵力過小な龍陵はたちまち危機に瀕した(第三次龍陵攻防戦)。松山師団長も龍陵地区の放棄はやむを得ないものと判断し、今岡連隊の撤退を命令した。今岡大佐は11月3日夜、まず龍陵守備隊を撤退させ、さらに5日夜に龍陵南側の戦線を撤収した。5月の遠征軍攻勢開始以来、第56師団は龍陵で三度にわたり激しい攻防戦を繰り広げたが、この時をもって遂に龍陵を手放すこととなった。 第56師団の龍陵放棄に伴い、遠征軍は芒市に迫り、11月5日頃から激しい攻撃を開始した。師団将兵は果敢に反撃し、遠征軍にも損害が続出した。しかしこの頃、松山師団長は敵無線の諜知により、遠征軍は一部兵力をもって芒市-ワンチンの中間点である遮放を占領し、師団の後方を遮断した上で、芒市を四周から包囲して総攻撃を行う意図であることを知った。11月19日から敵の攻勢が激しくなったため、同日夜、師団は一斉に芒市を撤収して後退を開始した。そして敵の執拗な追撃を拒止しつつ、11月30日には遮放付近の全戦線を撤し、12月初めにはワンチン付近に逐次集結した。
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