第56師団の芒市付近の持久戦とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 第56師団の芒市付近の持久戦の意味・解説 

第56師団の芒市付近の持久戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/10 04:35 UTC 版)

断作戦」の記事における「第56師団の芒市付近の持久戦」の解説

第2師団配備交代した第56師団は、引き続き龍陵芒市付近に陣地強化情報収集努めたこの頃までに得た傍受によれば16個師に上る雲南遠征軍の攻勢戦力も、度重なる激戦により極度に低下しているものと判断されたが、遠征軍空輸等の輸送力強化により、兵員軍需品補給努めていた。第56師団諸情報総合し遠征軍本格的攻勢開始おおむね10月下旬以降であり、その主力龍陵を、一部芒市奪回することを企図するものと判断した。この判断的中し10月29日遠征軍総攻撃開始された。 そして11月1日以降遠征軍攻勢はいよいよ本格化し、守備兵過小龍陵はたちまち危機瀕した第三次龍陵攻防戦)。松山師団長龍陵地区放棄やむを得ないものと判断し今岡連隊撤退命令した今岡大佐11月3日夜、まず龍陵守備隊撤退させ、さらに5日夜に龍陵南側戦線撤収した5月遠征軍攻勢開始以来第56師団龍陵三度にわたり激し攻防戦繰り広げたが、この時をもって遂に龍陵手放すこととなった第56師団龍陵放棄に伴い遠征軍芒市迫り11月5日頃から激し攻撃開始した師団将兵果敢に反撃し遠征軍にも損害続出した。しかしこの頃松山師団長は敵無線諜知により、遠征軍一部兵力をもって芒市ワンチン中間点である遮放を占領し師団後方遮断した上で芒市四周から包囲して総攻撃を行う意図であることを知った11月19日から敵の攻勢激しくなったため、同日夜、師団一斉に芒市撤収して後退開始した。そして敵の執拗な追撃拒止しつつ、11月30日には遮放付近の全戦線を撤し、12月初めにワンチン付近に逐次集結した

※この「第56師団の芒市付近の持久戦」の解説は、「断作戦」の解説の一部です。
「第56師団の芒市付近の持久戦」を含む「断作戦」の記事については、「断作戦」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「第56師団の芒市付近の持久戦」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「第56師団の芒市付近の持久戦」の関連用語

1
6% |||||

第56師団の芒市付近の持久戦のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



第56師団の芒市付近の持久戦のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの断作戦 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS