第5、第6の哨戒 1943年2月 - 5月
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「プランジャー (SS-179)」の記事における「第5、第6の哨戒 1943年2月 - 5月」の解説
2月16日、プランジャーは5回目の哨戒でマーシャル諸島方面に向かった。2月27日、プランジャーはジャルート環礁西方で給油艦石廊を撃破。3月12日には北緯07度15分 東経158度45分 / 北緯7.250度 東経158.750度 / 7.250; 158.750のポンペイ島南方海域で、ナウル島への給水任務を終えてポンペイ島に向け帰投中の特設給水船大寶山丸(三井船舶、1,804トン)に対して魚雷を4本発射し、1本を大寶山丸の左舷に命中させて撃沈した。3月27日、プランジャーは29日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。 4月23日、プランジャーは6回目の哨戒でマーシャル諸島およびマリアナ諸島方面に向かった。5月8日、プランジャーはトラック諸島から横浜に向かう第4508船団を発見する。船団中の特設給兵船辰武丸(辰馬汽船、7,068トン)が低質炭を搭載したがために速力が出ず、プランジャーは第4508船団を容易に追跡し攻撃することが出来た。翌9日未明2時11分頃、プランジャーは特設水上機母艦國川丸(川崎汽船、6,863トン)に対して魚雷を発射して2本命中させるも、いずれも不発であった。午後に入って國川丸に向けて魚雷を再度発射し、國川丸の船底に魚雷が1本命中したものの、またもや不発だった。第4508船団は偽航路など策を弄して北上を続けるが、次第に速力に優る國川丸および陸軍特殊船摩耶山丸(三井船舶、9,433トン)と、低速の辰武丸およびそれに付き添う特設運送船畿内丸(大阪商船、8,357トン)は離れてゆく。5月10日4時ごろ、プランジャーは北緯14度29分 東経149度00分 / 北緯14.483度 東経149.000度 / 14.483; 149.000のサイパン島東方海域で畿内丸に魚雷を命中させ、航行不能に陥らせる。約3時間半後、畿内丸の救助のため接近した辰武丸に対しても魚雷を3本発射し、1本が船体後部に命中して辰武丸は轟沈した。正午過ぎ、プランジャーは再度畿内丸に魚雷を命中させ、畿内丸の船橋前部には亀裂が走って沈没の危機が増した。やがて火災が発生した畿内丸は放棄され、プランジャーは翌11日朝に浮上し、未だ浮いていた畿内丸に3インチ砲と20ミリ機銃を撃ち込んで止めを刺した。畿内丸の沈没を確認したプランジャーは、第4508船団への複数回の攻撃で魚雷を使い切ったため、哨戒を終了してミッドウェー島に針路を向けた。5月22日、プランジャーは29日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。
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