第5、第6の哨戒 1943年10月 - 1944年3月
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「サンフィッシュ (潜水艦)」の記事における「第5、第6の哨戒 1943年10月 - 1944年3月」の解説
10月16日、サンフィッシュは5回目の哨戒で東シナ海、台湾方面に向かった。しかし、哨戒は悪天候に悩まされ、12月3日には北緯29度19分 東経146度41分 / 北緯29.317度 東経146.683度 / 29.317; 146.683の地点で2隻の駆逐艦を伴う2隻の空母を発見したが、攻撃までにはいたらなかった。12月14日、サンフィッシュは59日間の行動を終えて真珠湾に帰投。艦長がエドワード・E・シェルビー少佐(アナポリス1933年組)に代わった。 1944年1月14日、サンフィッシュは6回目の哨戒でマリアナ諸島方面に向かった。1月21日から30日にかけてはタオンギ環礁とコスラエ島の写真偵察を実施。2月17日のトラック島空襲では、パイロット救助と脱出艦船攻撃の任務に就いた。2月23日未明、サンフィッシュは雨の中、北緯15度17分 東経145度03分 / 北緯15.283度 東経145.050度 / 15.283; 145.050のサイパン島西方海域で日本本土に向かって航行中の特設運送船(給炭)新夕張丸(三井船舶、5,355トン)など複数の目標を探知する。折からトラック島空襲を終えた第58任務部隊(マーク・ミッチャー少将)がマリアナ諸島にも来襲しており(マリアナ諸島空襲)、第58任務部隊機から同士討ちされないよう接近した。サンフィッシュは空母ヨークタウン (USS Yorktown, CV-10) の艦載機が飛び回る中、最初の攻撃では「翔鶴型航空母艦」に対して魚雷を6本発射し、「3本を確実に命中させて撃沈した」とした。続いて、二度にわたって魚雷を3本ずつ発射して新夕張丸に命中させ航行不能に陥らせ、三度目の止めの魚雷を1本発射して新夕張丸を撃沈した。3月7日、サンフィッシュは53日間の行動を終えて真珠湾に帰投。サンフランシスコに回航され、ハンターズ・ポイント海軍造船所でオーバーホールに入った。
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