第5、第6の哨戒 1943年10月 - 1944年3月とは? わかりやすく解説

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第5、第6の哨戒 1943年10月 - 1944年3月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/01 14:34 UTC 版)

サンフィッシュ (潜水艦)」の記事における「第5、第6の哨戒 1943年10月 - 1944年3月」の解説

10月16日サンフィッシュ5回目哨戒東シナ海台湾方面向かった。しかし、哨戒悪天候悩まされ12月3日には北緯2919東経14641分 / 北緯29.317度 東経146.683度 / 29.317; 146.683の地点で2隻の駆逐艦を伴う2隻の空母発見したが、攻撃までにはいたらなかった。12月14日サンフィッシュ59日間行動終えて真珠湾帰投艦長エドワード・E・シェルビー少佐アナポリス1933年組)に代わった。 1944年1月14日サンフィッシュ6回目哨戒マリアナ諸島方面向かった1月21日から30日にかけてはタオンギ環礁コスラエ島写真偵察実施2月17日トラック島空襲では、パイロット救助脱出艦船攻撃任務就いた2月23日未明サンフィッシュの中、北緯15度17東経14503分 / 北緯15.283度 東経145.050度 / 15.283; 145.050のサイパン島西方海域日本本土向かって航行中特設運送船給炭)新夕張丸(三井船舶、5,355トン)など複数目標探知する折からトラック島空襲終えた第58任務部隊マーク・ミッチャー少将)がマリアナ諸島にも来襲しており(マリアナ諸島空襲)、第58任務部隊機から同士討ちされないよう接近したサンフィッシュ空母ヨークタウン (USS Yorktown, CV-10) の艦載機飛び回る中、最初の攻撃では「翔鶴型航空母艦に対して魚雷を6本発射し、「3本確実に命中させて撃沈した」とした。続いて二度わたって魚雷3本ずつ発射して夕張丸に命中させ航行不能に陥らせ、三度目止め魚雷を1本発射して夕張丸を撃沈した3月7日サンフィッシュ53日間行動終えて真珠湾帰投サンフランシスコ回航され、ハンターズ・ポイント海軍造船所オーバーホール入った

※この「第5、第6の哨戒 1943年10月 - 1944年3月」の解説は、「サンフィッシュ (潜水艦)」の解説の一部です。
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