第2次共産同分裂後の「戦旗派」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 21:14 UTC 版)
「共産主義者同盟 (戦旗派)」の記事における「第2次共産同分裂後の「戦旗派」」の解説
指導者:荒岱介(日向翔) 機関紙:「戦旗」 1969年、共産主義者同盟(第2次)から、前段階武装蜂起論による武装蜂起を主張する塩見孝也らの赤軍派が分裂し、その主張に反対した荒岱介らが「戦旗派」を形成した。次に1970年には右派(穏健派)の共産主義者同盟叛旗派(叛旗派)および共産主義者同盟情況派(情況派)が分裂し、更に同1970年に「12・28共産同」連合を結成した共産同関西委員会、鉄の戦線派、神奈川左派が分裂し、残った荒岱介ら中央派が「共産主義者同盟 (戦旗派)」を自称するようになった。 1972年5月13日 東京神田周辺で約600名が「お茶の水解放区闘争」と呼ばれる火炎瓶闘争を実施、128名が大量逮捕され、指導部責任を巡り内部対立が激化した。翌1973年4月には武装闘争重視の反荒派の一部が「共産主義者同盟国際主義派」を結成して分裂(後に日本共産党 (プロレタリア革命派)と合流)、6月には反荒派多数派の大下敦史派が分裂した。 1973年6月 戦旗派は爆弾闘争の総括を巡り、組織建設重視の荒派(日向派)と、武装闘争重視の西田派(両川派、後の共産主義者同盟戦旗派)に分裂した。 また、1971年に発生した日石本館地下郵便局爆破事件・土田邸小包爆弾事件は当時の戦旗派によるものであるとする書籍が2011年に出版されている。なお、爆弾を製造した真犯人であると名乗り出たアナーキストの牧田吉明が『我が闘争』(1984年、自費出版)で、戦旗派が実行犯であると暴露。法廷で証言している。
※この「第2次共産同分裂後の「戦旗派」」の解説は、「共産主義者同盟 (戦旗派)」の解説の一部です。
「第2次共産同分裂後の「戦旗派」」を含む「共産主義者同盟 (戦旗派)」の記事については、「共産主義者同盟 (戦旗派)」の概要を参照ください。
- 第2次共産同分裂後の「戦旗派」のページへのリンク