第四海上護衛隊
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1944年(昭和19年)4月10日、佐世保・鹿児島-沖縄間航路の船団護衛を担当する目的で、従来の佐世保防備戦隊を解隊・改編する形で発足した。同時に沖縄方面根拠地隊も新編され、新葉亭造少将が第四海上護衛隊司令官と沖縄方面根拠地隊司令官を兼務した。司令部は奄美大島に置かれ、佐世保鎮守府部隊に編入された。当時、沖縄が戦場となる恐れが極めて高まってきていたが、既存の第二海上護衛隊が担当する南方航路は沖縄を通らず台湾を経由していたため、沖縄への新たな輸送ルートを設置する必要があったためである。第四海上護衛隊の司令部は沖縄を防衛する「沖縄方面根拠地隊」司令部を兼任し(上述)、沖縄への物資輸送と住民の本土疎開を推進した。戦力は微々たるもので、対馬丸をはじめとする商船の喪失は防げなかった。1945年(昭和20年)2月25日、軍令部総長は戦時編制改訂を奏上する。沖縄方面根拠地隊を地上戦に専念させるために司令部の兼任は解除され、大田少将は2月25日附で兼務を解かれた(沖縄方面根拠地隊司令官専任)。新任の第四海上護衛隊司令官には、駒沢克己少将が任命された。 沖縄上陸に向けて連合軍の機動部隊が南西諸島方面に進出し、3月下旬から九州地区へ空襲を開始すると、「友鶴」など部隊の主力艦艇を次々に失う。制空権・制海権とも完全に失い、第一号型輸送艦・第百一号型輸送艦や機帆船による特攻的輸送を細々と実施したものの、沖縄航路は途絶した。海上交通保護が不可能となった第四海上護衛隊は、本土決戦に備えて南九州防衛を任務とする第五特攻戦隊(佐世保鎮守府部隊)へ編入されることになり、5月10日付で改編消滅した。しかし、すでに所属艦艇の大半が失われており、特攻戦隊に委譲できたのは駆潜艇2隻に過ぎなかった。第五特攻戦隊の兵力は、第32突撃隊、第33突撃隊、駆潜艇2隻であった。
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