第二次世界大戦期から戦後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/05 00:30 UTC 版)
「アルブレヒト・フォン・エスターライヒ=テシェン (1897-1955)」の記事における「第二次世界大戦期から戦後」の解説
アドルフ・ヒトラーがドイツの政権を獲得したことで、アルブレヒトはドイツの過激な右翼主義がハンガリーの政治体制をより右傾化させるのではないかと期待した。彼自身、1940年にイムレーディ・ベーラの設立した反ユダヤ的なハンガリー再生党に所属した。1940年8月、第二次ウィーン裁定(英語版)によってトランシルヴァニアがルーマニア王国から切り離されてハンガリーに帰属することが決定すると、アルブレヒトはトランシルヴァニアを実効支配するハンガリー進駐軍に陸軍大佐の肩書で参加している。 第二次世界大戦中、アルブレヒトはブダペスト・エステルハージ通り24番地の邸宅で暮らし、1944年秋に矢十字党の政権掌握でハンガリーがナチス・ドイツの影響下に入った後も、それに異を唱えなかった。すでに1941年から、ナチ党の指示を受けてハンガリー国内の親ナチス勢力を糾合する任務に従事しており、ナチ党の情報提供者でもあったからである。しかし1944年末に赤軍が迫りブダペスト包囲戦が始まると、国外に脱出する。オーストリアに逃げた後、スペインを経由して南米アルゼンチンに落ち着いた。1955年にブエノスアイレスの居宅で死去し、遺体は荼毘に付されたあとオーストリア・ブルゲンラント州ハルプトゥルン(英語版)の小教区聖堂(英語版)に安置された。
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