第二次ポエニ戦争終結
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/17 23:55 UTC 版)
「第二次ポエニ戦争」の記事における「第二次ポエニ戦争終結」の解説
この戦いの結果、カルタゴの野戦軍はほぼ消滅し、ハンニバルの無敵神話も崩れ去った。戦意を失ったカルタゴはローマに和平を願い出た。ローマの全権代表であるスキピオは、以下の条項を突きつけた。 ローマはカルタゴの独立を承認し、同盟を締結する。ただし従属ではなく対等の関係とし、ローマは自治権を奪わず、駐留軍も残さない。 カルタゴはシチリア、サルディーニャ、ヒスパニア等の海外領土を放棄する。ただし、開戦以前のアフリカのカルタゴ領は保持を認める。 カルタゴは支配下のヌミディア領を全てマシニッサに引き渡し、ヌミディアの独立を承認する。 カルタゴは10,000タレントの賠償金を50年賦でローマに支払う。 カルタゴが捕虜としているローマ人を全てローマに引き渡す。 以後、カルタゴはローマの許可なくいっさいの戦争を行わない。 カルタゴは10隻をのぞいて全ての軍船、および戦象をローマに引き渡す。また、以後は軍船の建造、戦象の育成を行わない。 カルタゴは14歳以上30歳以下の子弟100名を人質としてローマに差し出す。人選はスキピオが行う。 以上の仮条約が元老院に承認されるまで、カルタゴ領にとどまるローマ軍の経費はカルタゴが負担する。 特に第6条はカルタゴ滅亡の口実としてローマに利用された[要出典]。対等の同盟を宣言してはいたが、軍備保有も許されず、戦争も禁止され、事実上は従属であった。しかし、カルタゴに他の選択肢はなく、全面的にこれを受け入れた。ローマの元老院もいくつか修正した条約を追認し、第二次ポエニ戦争は終結した。
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