登り窯
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登り窯(のぼりがま、en:climbing kiln)と現在一般に呼ばれるものは、窯業で陶磁器等を大量に焼成するために、炉内を各間に仕切り、斜面等地形を利用し重力による燃焼ガスの対流を利用して[1]、炉内の各製品を焼成時に一定に高温に保てるよう工夫された窯の形態のことをいう。表面に釉薬を使用する場合は製品の均一という点でこの炉窯が優れている。交通が発達するまでは、消費地に近い、製品の原料となる粘土、燃料、水が豊富な場所が立地[2]に選ばれた 。
- ^ “最北の登り「窯北創窯」” (PDF). 留萌開発建設部. 北海道開発局. 2024年4月23日閲覧。
- ^ 近藤義郎・藤沢長治編 「日本の考古学」図版
- ^ 「窖窯」は、考古学で用いられる表記であり、陶芸用語としては「穴窯」の表記が用いられる傾向が強い。
- ^ 須恵器を焼く窯を特に須恵器窯といい、分焔柱がないのが特徴であった。
- ^ 焼成の際に酸素が入り込むため、できあがった土器は赤みをおびる。また焼成温度が比較的低いため、軟質である。
- ^ 「登り窯」は窖窯から連房式登窯までを指す広義の概念であるが、「登窯」と書いた場合は連房式登窯を指す考古学上の編年用語となる。
- ^ 釉薬を用いない素焼き土器の場合は青みないしは灰色を帯び、また、高温で焼成できるため硬質の土器や陶器ができあがる。
- ^ 近代化産業遺産群33. 経済産業省. (2007)
- ^ “京都・小川文齋邸の「登り窯」、隣接駐車場の解体工事で破損”. 産経新聞 (2019年4月11日). 2019年6月18日閲覧。
窖窯
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アッシリアの穴窯は近東諸国やヨーロッパ、アジアに伝わった。アジアで使われた窖窯(あながま)は、5世紀ごろ朝鮮を経由して中国から日本にもたらされた。 日本国内では、当初、須恵器を焼成する窯として使われ、15世紀末に窖窯を発展させた大窯が出現するまで陶器を焼く窯として用いられた。内部は800℃~1000℃に達する。 通常1つの長い燃焼室からなり、一方の面に小さな色見穴を開け、一端が火室、もう一端が煙道になっている。焼成時間は1日から数週間まで様々である。 地中の穴を窯にする方式は、焼成中に地中の水分を吸収して窯の温度上昇が阻まれるため廃れ、窯は地上に作られるようになった。
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