神本仏迹説とは? わかりやすく解説

本地垂迹

(神本仏迹説 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/03 06:23 UTC 版)

本地垂迹(ほんじすいじゃく)とは、仏教が興隆した時代に発生した神仏習合思想の一つで、神道の八百万の神々は、実は様々な菩薩天部なども含む)が化身として日本の地に現れた権現(ごんげん)であるとする考えである。仏本神迹説と呼ばれる場合もある。


  1. ^ 八幡神を八幡大菩薩とするなど。
  2. ^ 日本史用語研究会『必携日本史用語』(四訂版)実教出版(原著2009-2-2)。ISBN 9784407316599 
  3. ^ 大森 2011, pp. 30–45.
  4. ^ 『修験道の本』少年社編集制作、学習研究社発行、1999年1月15日発行、158頁
  5. ^ 天神信仰には、主神である天満大自在天神が、衆生を救うため様々な神仏へ分身したのだとする思想がある。
  6. ^ a b 全国歴史教育研究協議会『日本史B用語集―A併記』(改訂版)山川出版社(原著2009-3-30)。ISBN 9784634013025 


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神本仏迹説

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神仏習合」の記事における「神本仏迹説」の解説

詳細反本地垂迹説参照 鎌倉時代末期から南北朝時代になると、僧侶による神道説に対す反動から、逆に、神こそが本地であり仏は仮の姿であるとする神本仏迹説を唱える伊勢神道唯一神道現れ江戸時代には儒学理論により両派を統合した垂加神道誕生した。これらは神祇信仰主流派教義となっていき、神道としての教義確立貢献した。 しかし、神仏習合考え自体明治時代の神仏分離まで衰えことなく続いている。現在、仏教の寺院墓地における墓石板塔婆それぞれ石と木で作られることを、神社における磐座神籬影響とする説 があるように、近現代においても日本人精神構造影響及ぼしている。

※この「神本仏迹説」の解説は、「神仏習合」の解説の一部です。
「神本仏迹説」を含む「神仏習合」の記事については、「神仏習合」の概要を参照ください。

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