病(やまい)膏肓(こうこう)に入(い)・る
病膏肓に入る
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 08:57 UTC 版)
晋の景公が病にかかった際、秦の名医・高緩が来ることを知った病気の精が趙同・趙括という2人の童子となり、膏(心臓の下)と肓(横隔膜の上)に逃げ込んだ。高緩は「薬も鍼も届かない部位に病が入ってしまっているので治すことはできない。」といったことから。病気が重く治る見込みがないことの例え。転じて物事に熱中してしまい抜け出せなくなること。
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病膏肓に入る
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/06/12 06:30 UTC 版)
紀元前581年、景公は、大厲(病気の神霊)と化した趙同・趙括の死霊に祟られ臥せた。景公は秦から名医の緩を呼び寄せて診断を受けたが、大厲たちはそれを察知して、膏(横隔膜)の下で肓(心臓)の上という、治療できない部位に隠れ込んでいた。景公は治ることなく病死してしまった。 これが、病気を患い、どんな名医にでも治療できないような重い病気で、救いようのない状況や人物を表現する「病膏肓に入る(やまいこうこうにいる)」という故事成語のもととなった。 また一説によると、病床の景公が自分の寿命を占わせたところ、「公は新麦をお召しになる前に亡くなられます」とのことであった。新麦の収穫を祝う食膳に就いたとき、にわかに腹具合が悪くなった景公は便所に立ったが、足を滑らせ、便所の中に転落して死んだともいう。
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