理学療法士への道へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/11 13:40 UTC 版)
「工藤慎太郎 (理学療法士)」の記事における「理学療法士への道へ」の解説
理学療法士になったきっかけは、元々バスケをしていた際に膝蓋靭帯を断裂し手術をした経験にある。それまではバスケに関わる仕事がしたいと思っており、学校の教員になれば部活動を通してバスケに関わることができるなと考えていたという。大学進学の時期になった頃にケガをしてしまい、「これからどうするんだ?」と進路に悩んでいた頃にリハビリの先生に関ったことから柔道整復師に興味が湧き、そこからスポーツにも関わることができると思ったと述べている。 そこで進路の相談をしたら「柔道整復師より、理学療法士のほうがいいよ」といわれたことから理学療法士を志した。当時、理学療法士は片麻痺の患者などを診るという認識が染み付いており、なかなかスポーツを診るという認識は広がっていない時代であった。その中でスポーツ領域の理学療法を専門とする鵜飼建志(現・中部学院大学准教授)が在籍していたことから平成医療専門学院に進学する。 平成医療専門学院進学後は、母子家庭であったため学費は母親が工面する一方、下宿などの生活費は奨学金と合わせて自分で稼ぐため週4、5でバイトを入れていたと述べている。周りの同級生が遊んでいると工藤自身も遊びたくなって一緒に遊んで、周りが勉強している時間をバイトに充てていたため、後に工藤は「学生時代のことは結構悲惨でした。」と回顧している。平成医療専門学院卒業後は愛知県にある井戸田整形外科に入職して2年間臨床経験を積む。
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