王立軍事件
別名:王立軍米総領事館駆け込み事件、王立軍亡命未遂事件
2012年2月に、当時重慶市副市長・兼・公安局長であり、重慶市トップの役職である薄熙来・重慶市党委員会書記の側近であった王立軍が、公安局長を解任された後に四川省成都の米国総領事館を密かに訪問していた、という事実に関連する騒動。
王立軍は、薄熙来により公安局長に任命され、中国マフィアの摘発・一掃を取り仕切っていた。「大紀元日本」の2012年2月23日付記事では、王立軍を「マフィア組織取り締まりの英雄」と呼んでいる。
王立軍の公安局長解任、米国総領事館訪問など一連の事柄について、詳しい経緯などは明らかになっていない。報道では、米国総領事館への訪問は米国への亡命を求める「駆け込み」であったとする見解が多い。王立軍は米国総領事館への訪問後、国家安全省により連行され取り調べを受けているという。
王立軍事件の後、3月には王立軍を公安局長に任命した薄熙来が、中国共産党中央委員会によって重慶市党委員会書記を解任された。詳しい理由は明らかにされていないが、王立軍事件を受けた更迭人事であると見られている。これら一連の騒動を「重慶市副市長問題」と呼んでいる報道機関もある。
関連サイト:
王立軍氏の駆け込み「重大かつ悪質」 薄煕来氏は北京で取り調べ中 - 大紀元 2012年3月16日
<赤龍解体記>(52)重慶市副市長、米領事館に亡命求めた経緯 - 大紀元 2012年2月23日
王立軍事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/05 21:16 UTC 版)
2012年2月6日、重慶市副市長である王立軍がアメリカへ亡命するために成都市のアメリカ総領事館(英語版、中国語版)に駆け込む事件が発生した。王立軍は直前まで重慶市副市長兼重慶市公安局長として薄熙来が唱えたマフィア撲滅運動を主導しており、薄熙来の側近であった。 この情報はすぐに薄熙来及び北京にも伝達された。これにより、中華人民共和国政府はアメリカ大使に対して王立軍の無条件の引き渡しを求めるなど、王立軍奪還に全力を注いだ。北京の情報機関が対テロ部隊を、重慶が武装警察をそれぞれ動員しており、成都市のアメリカ総領事館は異常な緊張感に覆われていた。 最終的にアメリカ側が折れ、黄奇帆重慶市長が総領事館に入ることに応じた。2012年2月7日に王は中華人民共和国政府が安全を確保することに同意した3つの同一書面をアメリカ総領事、重慶市長、王立軍自身の3者を持つことを条件に、王立軍は重慶市長と一緒に総領事館に出ることに応じた。 王立軍事件の少し前の2012年1月28日に王立軍が薄家を訪れた際に、イギリス人実業家死亡事件についてプレッシャーを感じた警察官が辞表を出してきたと報告した。薄熙来はこの報告について王立軍による脅しと解釈して重慶市公安局長を解任したが、王立軍の立場を考慮して重慶市副市長のポストに一部の形式的な役職を加え、名誉職に祭り上げた。しかし、王立軍はこの人事に不信感を持ったことが亡命未遂事件のきっかけとなった。 なお、王立軍がアメリカ総領事館に駆け込む際に3枚のDVDを持ち込んでおり、その中には谷開来がイギリス人実業家の殺害にかかわっていたことを示すデータが収められていると報じられていた。その後、亡命を断念した王立軍は北京にある特殊尋問基地に移された後は、イギリス人実業家殺害事件について知っていることを洗いざらい証言した。
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