犬養公之碑
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/17 13:33 UTC 版)
『犬養公之碑』(いぬかいこうのひ)は、犬養木堂の伝記を記した記念碑で、木堂(ぼくどう)の郷里・岡山県岡山市北区川入の犬養家墓地に現存する。碑額には『故内閣総理大臣犬養公之碑』と6行で書かれており、本文とともに詠士の書である。『張猛龍碑』と『九成宮醴泉銘』の筆法を極めた張裕釗直伝の書風で、楷書碑の傑作と評される。 碑末に、「昭和十一年十月 松平康國撰 宮島大八書」とあるように、木堂が没してから4年後に松平康國が撰文した。内容は五・一五事件で「話せばわかる」の一言をのこして射殺されたことにまで言及している。詠士の執筆はそれから2年後の昭和13年(1938年、72歳)で、非常な苦心の結果なったものといわれており、一点一画を大切に運筆している。 木堂は書にすぐれ、明治から昭和の政界において副島蒼海に次ぐ文人書家と評される。日中のあらゆる書に興味を抱き、幅広い知識を持ちながら、はじめ北宋の書を好んで米芾、蘇軾、黄庭堅を学び、後には張裕釗を学んで木堂流を創り出した。よって、裕釗を習った木堂の碑の筆者として、詠士は極めて相応しい人物だったのである。
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