九成宮醴泉銘
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/08 05:54 UTC 版)
唐の太宗は貞観6年夏、隋の仁寿宮を修理して造営した九成宮(離宮)に避暑した。そのとき、たまたま一隅に醴泉(れいせん、あま味のある泉。甘泉)が湧き出たので、これは唐の帝室が徳をもって治めていることに応ずる一大祥瑞であるとし、この顚末を記して碑に刻することとなり、勅命により魏徴が撰文し、欧陽詢が書いた。 全24行で、各行50字あり、篆額に「九成宮醴泉銘」とある。欧陽詢の書として最も有名であり、書体は隋代に行われた方形から脱して特色ある長方形を成し、王羲之の楷書を脱して隷法を交え、清和秀潤な風格がある。陝西省麟遊県に現存する。
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