牧野文庫
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/02 09:59 UTC 版)
3代目牧野文斎は東三河地方唯一の総合病院だった信玄病院の院長を務めた医師・郷土史家であり、1915年(大正4年)から1924年(大正13年)頃まで私立牧野図書館を運営していた。牧野は大正天皇御大典を記念して図書館を設立したのであり、羽田野敬雄による羽田八幡宮文庫の一部、牧野の蔵書である古文書、明治・大正初期に刊行された書籍などを有していた。牧野図書館は信玄病院の敷地の一画にあり、2階建洋風建築の書庫と、平屋建ての閲覧室があった。司書の代わりに事務員2人がおり、無料で図書の館外貸出を行っていた。愛知県庁や南設楽郡役場などからも閲覧者があったという。 1923年(大正12年)の『愛知県教職員録』によると、当時の愛知県には公立・私立あわせて19の図書館等施設があり、南設楽郡には牧野図書館と南設楽郡教育会附属図書館があった。1933年(昭和8年)に3代目牧野文斎が死去すると、1937年(昭和12年)1月には4代目牧野文斎によって、5,683部・約13,000冊の蔵書が新城町役場に寄贈された。新城町は消防会館を改装し、同年8月までには新城町立図書館を設立した。このことから、新城町立図書館は「本館の前身は牧野図書館」であるとしている。 牧野の蔵書の中には多くの和本があり、国文学研究資料館がマイクロフィルム化している。牧野の蔵書は新城市立新城中学校に預託されていたが、1987年(昭和62年)5月に新城図書館が開館した際に、2階の郷土図書室に牧野文庫が設置された。
※この「牧野文庫」の解説は、「新城図書館」の解説の一部です。
「牧野文庫」を含む「新城図書館」の記事については、「新城図書館」の概要を参照ください。
- 牧野文庫のページへのリンク