牧野成敏とは? わかりやすく解説

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牧野成敏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/21 06:10 UTC 版)

牧野成敏(まきの しげとし、生没年不詳)は、日本戦国時代、主に享禄から天文年間に東三河地方(現愛知県豊川市豊橋市など)で活動した武将。同地方の国人領主牧野氏の一族。通称は田兵衛尉・田兵衛・伝兵衛。牧野氏一族の中でも早期に岡崎松平氏(後の徳川氏)に帰属したことで知られる。正岡城主(豊川市)、のち吉田城主となったが、戸田宣成に城を奪われた。


  1. ^ 下記参考文献の1所収、林自見著 『三州吉田記』 346頁。
  2. ^ 参考文献の2、「管轄沿革其六 戦国の土豪」 331 - 332頁。
  3. ^ 下記参考文献の3、17頁に所載の系図。
  4. ^ 参考文献の4、31-35頁。
  5. ^ 参考文献の5、「第一節 牧野氏の系譜」 8頁。
  6. ^ 享禄2年(1528年)11月4日(旧暦)の松平清康の吉田城攻めに先立ち、「牧野伝兵衛、正岡ノ砦ヲ守リケルカ、牛窪ヲ背キ享禄二年正岡ヲ追払、伝兵衛、清康公ニ属ス」と記す(参考文献の1 所収、『牛窪密談記』 167頁)や「享禄二己丑年、牧野伝左衛門三成舎弟、伝兵衛尉成敏イササカノ事在テ、兄弟不合ニナリ牛久保ヲソムキ、正岡ノ砦ヲ即時ニ責メ落サレ岡崎ノ徳川家ヘ属シ」たとの記述もある(参考文献の6 所収、『今橋物語』 149頁。)
  7. ^ 参考文献の10、「松平清康の吉田城占領」 382 - 383頁、および参考文献の7、239頁 「吉田城攻撃」。
  8. ^ 天文5年丙申11月15日付けで「牧野田兵衛尉平成敏」名義で森前の経田1町分を八幡宮禰宜の孫左衛門あてに進納し(下記参考文献 8 の38頁、「牧野成敏寄進状」)、同日付けで下地郷内(豊橋市下地町)本所方より20貫文の地を聖眼寺にも寄進している(下記参考文献の9;「牧野成敏寄進状」(聖眼寺古記録写所載))。
  9. ^ 『吉田城主記』には、戸田金七郎は天文6年牧野成敏の家人となっていた一族の戸田新次郎・同戸田宗兵衛尉と力を合わせて吉田城を攻略したとしている(参考文献の10、「戸田氏の吉田占領、386 - 387頁」)。
  10. ^ 『定次記』に「かけつか(掛塚)より大蔵殿(定次)本意をおもひ立日之事、同八月四日ひのとゐ、卯の刻に打立、松伝十郎殿を御供申、今橋まかり付なり。」、また「うるふ十月七日につちのとひつじ、むろつか(室城)をちやき(自焼き)いたし、今橋迄のくなり」とある。(参考文献の10、「松平清康の吉田城占領」、385 - 386頁)。
  11. ^ 参考文献の5、「牧野氏の拠点」 26頁、および参考文献の11、46頁付図。
  12. ^ 『寛政重修諸家譜』下記参考文献の12。 429 - 430頁(巻三百八十一・牧野氏)による。
  13. ^ 小諸市教育委員会編『小諸市古文書目録Ⅰ』整理番号B0095 牧野須磨之丞家先祖書(須磨之丞は牧野成寿(八郎左衛門)の家老就任前の通称である)。


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