三河牧野氏とは? わかりやすく解説

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三河牧野氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/24 08:42 UTC 版)

三河牧野氏(みかわまきのし)は、武家華族だった日本氏族三河国宝飯郡中條郷牧野村に発した東三河の土豪として戦国末期に松平氏徳川氏)に仕え、江戸時代門閥譜代として多数の大名旗本家を分出[1]維新後大名だった牧野家5家が華族の子爵家に列した[2]


注釈

  1. ^ 旧長岡藩は現米1万500石(表高2万4000石)で現米5万石未満の旧小藩に該当[32]
  2. ^ 旧笠間藩は現米2万5180石(表高8万石)で現米5万石未満の旧小藩に該当[32]
  3. ^ 旧小諸藩は現米1万20石(表高1万5000石)で現米5万石未満の旧小藩に該当[32]
  4. ^ 旧舞鶴藩は現米1万6750石(表高3万5000石)で現米5万石未満の旧小藩に該当[32]

出典

  1. ^ 世界大百科事典 第2版『牧野氏』 - コトバンク
  2. ^ 小田部雄次 2006, p. 336/345.
  3. ^ 『新訂 寛政重修諸家譜』(続群書類従完成会、1984年)の「巻652・田口氏牧野」、「巻364・清和源氏支流牧野」の各按文の記述によれば、牧野氏は四国の阿波国または讃岐国の豪族である田口成良の子孫が、三河国に渡来し、牧野村に土着して牧野氏を称したというのがほぼ共通した伝承だとされる。
  4. ^ 鈴木眞年『牧野家系図』(長岡市立中央図書館蔵)伝来の系図類を明治9年(1876年)に華族会館提出用にまとめたもの。
  5. ^ この説に関連する内容として、吾妻鏡承久3年(1221年)の記事に鎌倉方武士として牧野太郎兵衛尉の名がみえる。
  6. ^ 永享の乱鎌倉公方衆だった一色時家を匿った罪で、乱後の永享12年(1440年)に幕命を帯びた若狭守護代武田信栄に討たれた三河守護一色義貫に代わって、阿波屋形と呼ばれた細川持常が三河守護に補任されたが、牧野氏主君とされる前守護一色義貫の子・義直とその残党が、この新守護細川持常と三河守護職をめぐり対立していた事、後に成富の子牧野成時一色時家に仕えた事からも、成富が細川氏に随従したというこの記述は疑わしい。
  7. ^ 長岡牧野氏の系図には田口教良の次男に成教があり、成朝・成継兄弟とは異なり承久の乱後も阿波国の自領に残り、子孫数代は連綿して兵衛尉を務めたが、中途、延文2年3月(1357年4月)に讃岐国真木郷(現在地名不詳)に移住。田口成清に至り、応永15年(1408年)上京。その子成方(田口平馬允)が牟呂八幡宮の神官になったと記述している。
  8. ^ 宝賀寿男「甲斐国造の系譜と一族」『古樹紀之房間』、2016年
  9. ^ 長岡中央図書館蔵・鈴木眞年『牧野家系図』によれば成興は「平三郎、応仁乱時、属一色左京大夫義直、京合戦抽功、文明八死」とある。
  10. ^ もっとも長岡藩主牧野氏所蔵でない牧野氏系図(以下、非長岡牧野系図と略す)には、氏勝・成勝の2人の男子(あるいは養子)があったとされるが、氏勝と成勝は同一人物とするのが有力である。
  11. ^ 牧野平四郎は、実名を政成と云い直系子孫は、諸侯となった牧野氏に随従して、上野国大胡・越後国長岡・越後国与板と移り、与板侯牧野氏の家臣となった4代目牧野平四郎が、牧野八郎左衛門と通称を改めて、与板藩主・牧野康成の家臣となった。さらにその子孫は、藩主の信濃国小諸城主栄転に伴いその城代家老となり明治維新まで存続した。(出典 長野県小諸市役所元助役・小諸藩士族会元会長 牧野一郎所蔵文書)
  12. ^ 『三河文献集成 中世編』の「牛久保密談記」所収古文書、→「牧野民部丞逆心」に伴い牛久保若一王子社・牛久保隣松寺并末寺常楽寺に対する寺社領等の安堵を内容とする弘治2年2月28日・同29日(1556年4月8日・9日)治部大輔(今川義元)発給古文書。
  13. ^ 岡崎市『新編岡崎市史6 史料編古代中世』1989年3月、pp1068-1069
  14. ^ 『牧野家御家伝・牧野家譜。小諸市古文書目録(第1集) 牧野家所蔵。与板町誌など。』
  15. ^ 同家系図によると、正岡城主牧野田兵衛尉成敏には成勝、田三郎、三郎次郎、新九郎氏成(平四郎家祖)の4人の男子があったとされるが、牧野成敏実子なのか、それとも養親子関係なのかは不詳である。母の名も不詳である。
  16. ^ 新九郎氏成の惣領は平四郎であり、以降4代これを通称していることが、牧野平四郎家系図から確認できるが、新九郎氏成が平四郎を通称したかは、同家系図からは確認できない。
  17. ^ 大島信雄「越後長岡と東三河〈第119-121話〉 - 照山城と牧野氏(上・中・下)」『東海日日新聞』1999年12月19日-21日
  18. ^ a b c 新田完三 1984, p. 600.
  19. ^ a b c d 日本大百科全書(ニッポニカ)、百科事典マイペディア、藩名・旧国名がわかる事典『長岡藩』 - コトバンク
  20. ^ a b 新田完三 1984, p. 603.
  21. ^ a b c 華族大鑑刊行会 1990, p. 429.
  22. ^ 朝日日本歴史人物事典『牧野成貞』 - コトバンク
  23. ^ 新田完三 1984, p. 215.
  24. ^ 新田完三 1984, p. 216-218.
  25. ^ 新田完三 1984, p. 340-342.
  26. ^ 新田完三 1984, p. 809.
  27. ^ a b 新田完三 1984, p. 810.
  28. ^ 新田完三 1984, p. 744.
  29. ^ 新訂 政治家人名事典 明治~昭和『牧野 忠毅』 - コトバンク
  30. ^ a b c d e 浅見雅男 1994, p. 24.
  31. ^ a b c d e 小田部雄次 2006, p. 13-14.
  32. ^ a b c d 浅見雅男 1994, p. 150.
  33. ^ a b c d 小田部雄次 2006, p. 336.
  34. ^ 華族大鑑刊行会 1990, p. 428.
  35. ^ 新田完三 1984, p. 218.
  36. ^ 華族大鑑刊行会 1990, p. 255.
  37. ^ a b 華族大鑑刊行会 1990, p. 254.
  38. ^ 新田完三 1984, p. 342.
  39. ^ a b 華族大鑑刊行会 1990, p. 367.
  40. ^ a b 小田部雄次 2006, p. 345.
  41. ^ a b 華族大鑑刊行会 1990, p. 389.
  42. ^ 新田完三 1984, p. 745.
  43. ^ 華族大鑑刊行会, 1990 & p245.
  44. ^ 華族大鑑刊行会 1990, p. 245.






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