漁獲地
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 14:33 UTC 版)
日本の明治から大正を経て、及び昭和の初期頃までは北海道を中心としてニシン漁が盛んであり、その様子は「ソーラン節」にも謡われ、漁師の中には鰊御殿と呼ばれる大邸宅を持つものもあった。したがって日本産の数の子の入手も比較的容易だった。 しかし、乱獲または気候変動による海流の変化により、1955年(昭和30年)頃を境にしてニシンの水揚げ量が激減し、日本産の数の子は一気に貴重品となり、これに対して輸入品が台頭する、危殆に瀕する事態となった。1980年(昭和55年)には、数の子の買い占めが原因で倒産した水産会社が頻りに続出する騒動もあった。 1996年(平成8年)以降、日本においてもニシンの水揚げにようやく回復の兆候が見られ、若干量だが国内産の数の子も再び見られる様になった。なお、国内におけるニシン加工業の殆どが北海道留萌市で占めている。また、同市の特産品にもなっており、ふるさと納税のお礼品にもなっている。 日本国外では、カナダ・アメリカ合衆国のアラスカ州・イギリスのスコットランド・ロシア等で水揚げされるニシンから数の子が作られ、日本もこれらの地域産のものを輸入している。 これらの地域の中、アラスカ等の北米大陸西海岸側のものは主に塩蔵数の子として、カナダのニューファンドランド島等の北米大陸東海岸側のものは主に味付け数の子として、またヨーロッパ産のものは塩蔵数の子、味付け数の子双方として、それぞれ加工される傾向が多いとされている。
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