深刻な財政危機(1980年代と1990年代)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 00:20 UTC 版)
「エルチェCF」の記事における「深刻な財政危機(1980年代と1990年代)」の解説
1978-79シーズン以降の9シーズン中7シーズンで5位以内に入ったが、プリメーラ・ディビシオン昇格を逃し続けた。このうちの1シーズンは3位のクラブと同勝ち点でシーズンを終えたが、得失点差で下回って昇格を逃している。特に1980-81シーズンに昇格を逃したことはサポーターの心を苦しめた。シーズン最終節を前にして2位に位置し、3位以下のラージョ・バジェカーノとラシン・サンタンデールに勝ち点2差を付けていた。最終節はホームのマヌエル・マルティネス・バレーロで行なわれるカディスCF戦であり、引き分けさえすれば他クラブの結果に関わらず昇格が決定するはずだったが、エルチェはこの大一番に敗れた。勝ち点45で5クラブ(CDカステリョン、カディス、ラシン、エルチェ、ラージョ)が並んだが、当該クラブ間の成績によりエルチェは昇格を逃した。 .mw-parser-output .legend{page-break-inside:avoid;break-inside:avoid-column}.mw-parser-output .legend-color{display:inline-block;min-width:1.5em;height:1.5em;margin:1px 0;text-align:center;border:1px solid black;background-color:transparent;color:black}.mw-parser-output .legend-text{} 昇格・優勝 昇格 1980-81 セグンダ・ディビシオン最終成績(7位まで記載)順位クラブ勝ち点勝利引分敗北点差1 CDカステリョン 45 15 15 8 +12 2 カディスCF 45 19 7 12 +18 3 ラシン・サンタンデール 45 18 9 1 +8 4 エルチェCF 45 17 11 10 +11 5 ラージョ・バジェカーノ 45 15 15 8 +14 6 CDマラガ 42 14 14 10 +2 7 CEサバデイ 42 16 10 12 +1 1983-84シーズンは5位に終わったが、1位はレアル・マドリード・カスティージャ(レアル・マドリードのリザーブチーム)、2位はビルバオ・アスレティック(アスレティック・ビルバオのリザーブチーム)であり、リザーブチームはプリメーラ・ディビシオンに昇格できないという規定が適用されたため、エルチェが昇格の権利を得た。しかし、1960年代や1970年代のような成功をプリメーラでおさめることはできず、わずか1シーズンでセグンダ・ディビシオン降格となった。1985-86シーズンもイライラさせられるシーズンが続き、勝ち点1差で昇格を逃した。1988年には再びプリメーラ・ディビシオンに昇格したが、1988-89シーズンはずっと最下位に低迷し、16位で残留を決めたCDマラガから勝ち点18も離された20位(最下位)でセグンダ・ディビシオンに降格した。最終節はレアル・サラゴサに1-3で敗れたが、この試合でクラブ唯一の得点を挙げたのはアルフォンソ・フェルナンデスである。1989-90シーズンから2012-13シーズンまでは常にセグンダ・ディビシオン以下のカテゴリーで戦った。 1960年代や1970年代のような成功を目指して大規模な投資を続けたため、1989年のセグンダ・ディビシオン降格後には財政問題に悩まされ始めた。1989-90シーズンは順位表の中位をさまよい、1990-91シーズンは17位でセグンダ・ディビシオンB(現3部、1977年創設)降格となった。3部リーグにまで落ち込むのは1957-58シーズン以来だった。セグンダ・ディビシオンBでは毎シーズンのように昇格プレーオフに出場し、その度にプレーオフで敗退した。1996-97シーズン終了後にセグンダ・ディビシオン復帰を決め、1997-98シーズンは19位で再びセグンダ・ディビシオンB降格となったが、1シーズンでセグンダ・ディビシオンに返り咲くと、その後は14シーズンの間セグンダ・ディビシオンの地位を保ち続けた。
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