江戸白木屋出店
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/23 02:45 UTC 版)
「大村彦太郎 (初代)」の記事における「江戸白木屋出店」の解説
京都の材木店「白木屋」は傍らで木綿類や日用品の販売を行っていたところ、大いに繁盛した。江戸幕府開府と共に江戸の隆盛を聞く彦太郎は、江戸への出店を考えるようになり、江戸で人気の上方小物を商う小間物屋「白木屋」を、寛文2年8月24日(1662年10月6日)日本橋通り2丁目に出店、間口一間半のささやかな店だった。地道な仕事から商売の目処をつけて彦太郎は、寛文5年(1665年)日本橋通り1丁目に移転し、後に江戸屈指の呉服店「白木屋」の礎を固めた。新店舗では裂地類を仕入れ、寛文8年(1668年)には羽二重地を扱い始め、徐々に扱い品を増やし延宝6年(1678年)には縮緬・毛氈・紗・綾等を、翌7年(1679年)に晒木綿、天和元年(1681年)に木綿羽織地に着尺麻、貞享元年(1684年)には太物店を拡張、貞享3年(1686年)郡内縞を売り出した。商売の方法は新しい商品を扱っては売れ行きを見、資金回収をした上で新しい商品に手を出すと言う、極めて手堅い商売を行い、徐々に店は拡張していった。江戸時代白木屋に対して「白木屋は手堅い店」と言われ、大いに商売上信用に値する店と評価された。これは、「商いは 利益を取らず 正直に 良きものを売れ 末は繁盛」との商業訓を貫いたものと言える。
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