江戸時代の匁
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/08 17:08 UTC 版)
この当時の目方の単位としての1匁は、分銅や定位貨幣を実測して推定すると、現在のメートル法を基準とした3.75 gよりやや小さく、近世を通じた平均値で3.736 gであり、江戸時代終盤にやや増加して3.75 gを超えた。狩谷棭斎は、「清の人が持ってくる分銅を日本のものと計り比べても厘毫の違いも無い。」また明、宋元、唐の衡(1銭=3.73 g)から変化していないと述べている。貨幣の量目から、後藤家の分銅も中国の分銅を原器として模倣したものと推定され、江戸時代の1匁は3.73 gと見積られる。 銀目以外の「匁」の用法として、金座において金銀地金などの量目を表す場合に用い、金貨の品位は44匁の純金に銀を加えて全体の量目を76匁7分とした場合の品位(44/76.7 = 573.7/1000)は「七十六匁七分位」と表現された。また、各地金山・銀山からの産出量や運上高なども「貫」や「匁」で表される。これに対し、鉄や鉛などの卑金属、銅山から産出される銅地金の重量は「斤」の単位が用いられた。 秋田封銀や秋田銀判、盛岡銀判など、幕末期の地方貨幣の「匁」表示の銀貨は正味の量目を表し、秤量銀貨の銀目を意味するものではなく、一分銀や一朱銀の量目に合わせて二分や一両などの通用価値を決めたものである。
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