栗林忠道との関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 09:49 UTC 版)
「硫黄島の戦い」も参照 硫黄島防衛戦中の1945年3月7日、小笠原方面陸海軍最高指揮官(小笠原兵団長兼第109師団長)・栗林忠道陸軍中将は、最後の戦訓電報(戦闘状況や戦訓を参謀本部に報告する一連の電報)である総括電報「膽参電第三五一号」を打電した。 この「膽参電第三五一号」の宛先は参謀次長(参謀本部)だけでなく、当時は侍従武官長である蓮沼に対しても宛てられていたものであった(「参謀次長宛膽部隊長蓮沼侍従武官長ニ伝ヘラレ度)。のちの作戦立案などに生かすため参謀本部に送る戦訓電報を、大本営参謀や部隊高級指揮官(部隊長)でない蓮沼を名指しで指定した理由として、栗林が硫黄島で展開した一連の防衛戦術は、(栗林学生が)陸大当時に兵学教官であった蓮沼から教わった戦術を基本としていることによる。 「硫黄島ノ防備就中戦闘指導ハ 陸大以来閣下ノ御教導ノ精神ニ基クモノ多シ 小官ノ所見何卒御批判ヲ乞フ」 「以上多少申訳的ノ所モアルモ 小官ノ率直ナル所見ナリ何卒御笑覧下サレ度 終リニ臨ミ年釆ノ御懇情ヲ深謝スルト共二 閣下ノ御武運長久ヲ祈リ奉ル」 またそれと同時に「膽参電第三五一号」の内容は、地下陣地の計画・構築から戦闘時に至るまで多くの失態をしでかした海軍を痛烈に批判し、かつ陸海軍の統帥一元化に踏み込んだものであったため、それらが黙殺されることを危惧した栗林の気転でもあった。そのためこの「膽参電第三五一号」は蓮沼の目に留まり、蓮沼は栗林のこの統帥一元化の意思を受け止めている(内大臣『木戸幸一日記』昭和20年3月9日「十二時半、武官長来室、統帥一元云々につき話す」)。
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