松之大廊下の刃傷まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 02:32 UTC 版)
江戸幕府は毎年正月、朝廷に年賀の挨拶をしており、朝廷もその返礼として勅使を幕府に遣わせていた。この時、3-10万石程度の所領を持つ大名が勅使饗応役として勅使の接待役を務め、典礼などの指南を行うのが高家であった。 元禄14年の勅使饗応役は浅野内匠頭で、2度目の饗応役であった。また、吉良上野介は高家肝煎であり、正月に幕府の使者として上洛しており、並行して浅野内匠頭に儀式指南を行っていた。 吉良上野介の返礼として、3月11日、東山天皇勅使の柳原資廉と高野保春、及び霊元上皇院使の清閑寺煕定が江戸城内の伝奏屋敷に到着、浅野内匠頭以下赤穂藩士、吉良上野介らが接遇にあたった。14日は儀礼の最終日で、将軍徳川綱吉が本丸御殿内の白書院で勅使に奉答する予定であった。
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