東国国家論から
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/20 05:49 UTC 版)
佐藤進一による「東国国家論」の立場からは、自立した東国国家の統治機関としての側面が強調される。 佐藤博信は、鎌倉府は独自に国家権力を行使した「東国国家」と評価すべきとした。室町幕府の制約を受けてはいるが、鎌倉公方を中心とした身分編成を独自に構成し、整備された官僚機構のもとで裁判権・軍事指揮権・土地処分権・検断権等を行使した点、「成氏年中行事」にみられるように独自の儀礼体系を整備していた点を重視している。 網野善彦はより明確に、日本にはかつて二つの国家・「東国国家」と「西国国家」があったと論じている。鎌倉時代に鎌倉を中心とする東国国家(鎌倉幕府)、および、京都を中心とする西国国家(朝廷)の二つの権力が出現、のちに鎌倉府が「東国国家」を継承し、古河公方(古河府)、小田原の後北条氏を経て、江戸の徳川幕府に引き継がれたとした。
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