本遠寺
名称: | 本遠寺 |
ふりがな: | ほんおんじ |
名称(棟): | 本堂 |
名称(ふりがな): | ほんどう |
番号: | 2175 |
種別1: | 近世以前/寺院 |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
指定年月日: | 1986.01.22(昭和61.01.22) |
員数(数): | 1 |
員数(単位): | 棟 |
代表都道府県: | 山梨県 |
都道府県: | 山梨県南巨摩郡身延町大野 |
所有者名: | 本遠寺 |
指定基準: | |
管理団体名: | |
管理団体住所: | |
管理団体指定年月日: | |
構造形式: | 桁行五間、梁間七間、一重、入母屋造、向拝一間、桟瓦葺 |
時代区分: | 江戸前期 |
年代: | 慶安3(1650) |
解説文: | 本遠寺は日蓮宗の本山に列する由緒寺院で、伽藍は和歌山藩主德川頼宣によって造営されたが、幕末の火災で失われ、わずかに本堂と鐘楼堂のみが現存する。 本堂は桁行五間、梁間七間の大型の仏堂で、木割の太い優品である。日蓮宗の聖地身延地方にある江戸時代前期の本堂遺構として唯一のもので貴重である。 鐘楼堂は袴腰を付けず、柱を内転びとして一階を開放とする珍しい形式の楼造鐘楼で、規模が大きく、細部の絵様繰形などにみるべき点がある。 |
本遠寺
本遠寺
本遠寺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/06 22:18 UTC 版)
本遠寺(ほんのんじ)は山梨県南巨摩郡身延町にある日蓮宗の本山(由緒寺院)。山号は大野山。開山は総本山・身延山久遠寺を隠退した心性院日遠、慶長14年(1609年)に徳川家康の側室・養珠院お万の方の帰依を受けて創建した[1]。「お万さまの寺」とも呼ばれる[2]。小西法縁。貫首は66世・髙佐日瑞[3]。本堂と鐘楼堂が国の重要文化財に指定されている[1]。境内に塔頭[注 1]・良圓寺がある[注 2]。
注釈
- ^ 塔頭とは大寺院の中にある小寺院や別坊の事で子院や脇寺ともいう。[4]。
- ^ 良圓寺は境内にあるが現在は独立した寺院。日蓮宗は昭和初期に本山と末寺の関係を解消している。
- ^ 養珠院と号すのは元和2年(1616年)40歳の時、徳川家康の没後[5]。
- ^ 数え年[6]。
- ^ 生父は上総勝浦の城主・正木忠頼。養父は伊豆河津の城主・蔭山長門守氏広で伊豆加殿・妙国寺の信徒。お万の方は蔭山殿とも称す[5]。
- ^ 甲斐国(山梨県)出身の廓山は江戸の浄土宗増上寺・存応のもとで修学。日蓮宗・日経との慶長宗論に勝利し名声をはせ、徳川家康の生母である水野氏の菩提寺・伝通院に招かれ中興開山となる。存応の没後には幕命により増上寺13世となった。元亀3年(1572年)生、寛永2年(1625年)没[7]。
- ^ 不受布施派とは京都妙覚寺の日奥を派祖とする日蓮宗の一派。江戸幕府に禁教とされ「禁教不受不施」の名でも知られる。不受とは寺や僧侶が他宗からの布施供養を受けないことで、不施とは信者が他宗の寺社や僧侶に布施供養をしないことをいう[8]。
- ^ 妙塔山妙満寺(京都市左京区)は現在、顕本法華宗の総本山。永徳3年(1383年)開創。開山は日什。日蓮宗の勝劣派に属していた[9]。
- ^ 常楽院日経は日什門流・京の妙満寺27世。折伏の布教を行い、優れた学識で諸宗と論争したが、徳川家康の命による浄土宗・廓山との慶長宗論では敗れた。日蓮宗では、幕府が日経を襲撃し重傷のまま宗論の場に運んだ為、日経は一言も発せず敗北。翌年、弟子5人と耳鼻をそぎ落とされ、迫害が続く中、生涯放浪したとも伝わる。永禄3年(1560年)生、元和6年(1620年)没[10]。
- ^ 慶長宗論は日蓮宗では、日経らが徳川家康の日蓮宗弾圧策により敗れ刑を受けたと伝わる事から慶長法難とも称す[10]。
- ^ 折伏とは悪人や悪法を打ち砕いて迷いを覚まさせることをさす仏教語。相手の悪や間違いを打ち破り真の教えに帰依させる教化法[11]。
- ^ 日遠は他宗からの布施供養を受け入れる受不施派の中心的な僧。寛永7年(1630年)には不受不施派との身池対論で勝利した[12]。
- ^ 徳川頼宣は家康の10男で紀州徳川家の祖、初代紀州藩主[13]。時代劇『暴れん坊将軍』でも知られる8代将軍・徳川吉宗の祖父でもある[14][15]。
- ^ 徳川頼房は家康の11男で水戸徳川家の祖、初代水戸藩主[16]。『水戸黄門』こと徳川光圀の父でもある[17]。
- ^ 近貫龍は山梨県身延町妙泉寺の前住職で2009年(平成21年)に本遠寺の貫首に就任[2]。
- ^ 加歴とは特別な功績がある僧侶を本山の貫首の歴代に加えることをいう。
- ^ 渡邊照敏は2009年(平成21年)12月から4年間、日蓮宗の宗務総長を務めた[19]。
- ^ 七面大明神は身延の七面山にすみ、身延山を守護して鬼門を封じるという。本地は吉祥天、法華経の提婆達多品に登場する竜女ともされ七面天女とも称される。左手に宝珠、右手には鍵をもつ[20]。
- ^ 羽衣白糸の滝では現在も近くの旅館に事前連絡すると滝行ができる[21]。
- ^ 水垢離とは水行で禊ぎをすること。神仏への祈願前に水を浴びて身を清める。心身を清浄にするため穢れを取り除くこと[22]。
- ^ 五障は古来、女性に5種類の妨げがあり梵天王・帝釈天・魔王・転輪王・仏になれないとされていた事をいう仏教語。 5つの善根(信・精進・念・定・慧)の障害となる欺・怠・瞋・恨・怨や 修行を妨げる煩悩障・業障・生障・法障・所知障をさす[24]。
出典
- ^ a b c “本遠寺本堂 鐘楼堂”. 山梨県身延町サイト. 身延町. 2019年4月28日閲覧。
- ^ a b “本山本遠寺貫首に近貫龍師”. 日蓮宗新聞社サイト. 日蓮宗新聞社. 2019年4月28日閲覧。
- ^ a b “山梨1本山本遠寺晋山式”. 日蓮宗新聞社サイト. 日蓮宗新聞社. 2019年4月18日閲覧。
- ^ 『塔頭』 - コトバンク
- ^ a b c d e 日蓮宗事典 (1981), p. 463
- ^ 『数え年』 - コトバンク
- ^ 『廓山』 - コトバンク
- ^ 『不受布施派』 - コトバンク
- ^ 『妙満寺』 - コトバンク
- ^ a b 『日経』 - コトバンク
- ^ 『折伏』 - コトバンク
- ^ a b 『日遠』 - コトバンク
- ^ 『徳川頼宣』 - コトバンク
- ^ 『徳川光貞』 - コトバンク
- ^ 『徳川吉宗』 - コトバンク
- ^ 『徳川頼房』 - コトバンク
- ^ 『徳川光圀』 - コトバンク
- ^ 日蓮宗事典 (1981), p. 583
- ^ “渡邊新内局がスタート”. 日蓮宗新聞社サイト. 日蓮宗新聞社. 2018年9月15日閲覧。
- ^ a b 『七面山』 - コトバンク
- ^ “羽衣白糸の滝”. か奥山梨はやかわ. 早川町観光協会. 2019年5月5日閲覧。
- ^ 『水垢離』 - コトバンク
- ^ a b “七面山登詣案内”. 身延山久遠寺サイト. 久遠寺. 2019年5月5日閲覧。
- ^ 『五障』 - コトバンク
- ^ “御霊宝 紀州徳川家墓所”. 池上本門寺サイト. 本門寺. 2019年5月5日閲覧。
- ^ “本遠寺 本堂”. 文化遺産オンライン. 文化庁. 2019年4月28日閲覧。
- ^ “本遠寺 鐘楼堂”. 文化遺産オンライン. 文化庁. 2019年4月28日閲覧。
- ^ 本遠寺釈迦如来立像については、鈴木麻里子「十三世紀半ばから後半の造仏」『山梨県史』通史編2中世、『県史』文化財偏、井澤英理子解説『甲斐の国のたからもの』山梨県立博物館、2009など。頭部内側銘文は『県資』6中世3(考古資料)所載。
- ^ “木造伝釈迦如来立像付黒漆塗厨子”. 山梨県身延町サイト. 身延町. 2019年4月28日閲覧。
- ^ “紙本著色日蓮上人図”. 山梨県身延町サイト. 身延町. 2019年4月28日閲覧。
- ^ “紙本墨書十如是御書”. 山梨県身延町サイト. 身延町. 2019年4月28日閲覧。
- ^ “銅鐘”. 山梨県身延町サイト. 身延町. 2019年4月28日閲覧。
- ^ “徳川家康側室養珠院墓所”. 山梨県身延町サイト. 身延町. 2019年4月28日閲覧。
- ^ “本遠寺の大クスノキ”. 山梨県身延町サイト. 身延町. 2019年4月28日閲覧。
- ^ “大野山本遠寺のしだれ桜”. 山梨県身延町サイト. 身延町. 2019年4月28日閲覧。
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