旧6歳時
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/04 06:10 UTC 版)
この年も初戦の福山大賞典を楽勝するなど順調に連勝するも、春の重賞福山桜花賞では、主戦の那俄性の騎乗停止により岡山重男を鞍上にして2着。次戦で主戦に戻ったがまた2着と、2度目となる連敗を喫した。その後持ち直して福山金杯を含む3連勝と徐々に波に乗ってきていたが、この頃には脚元が限界寸前になっていた。 秋の復帰戦は1開催見送った後の出走となったが、勝ち星を挙げて連続40連対を達成した。これはトウケイニセイが連続41連対を達成するまでの間、日本における最多連続連対記録であった。 このあと、全日本アラブ大賞典連覇に拘る馬主と引退を勧める調教師で話が縺れ、次走の福山菊花賞の走りで今後の進退を決める事となった。その福山菊花賞で初めて連対を外し3着に敗れ、引退することが決定した。3着になった際には、競馬場内が一瞬静まり返ったのち大騒ぎになったという。ちなみに枠連の配当は、単勝4番人気と最低人気の組み合わせで9万7900円を記録したが、各予想紙において2、3番手評価を受けた馬が馬券圏内に入ったにも関わらず常時では考えられない大波乱となる異常配当からも、ファンのローゼンホーマに対する絶対の信頼感が読み取れる。この年は10戦7勝2着2回3着1回の成績を挙げ、トータルでは41戦34勝2着6回3着1回と素晴らしい成績を引っさげ、晴れて種牡馬となった。 なお、1988年12月18日に福山競馬としては初めての引退セレモニーを催され、その映像とすべての出走レースがともに収録されたビデオが存在する。あまり記録に残すことがなかった時代において、非常にまれなケースである。
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