旧駅舎時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/14 02:13 UTC 版)
頭端式3面2線ホームで、ホーム全体がドーム状の屋根で覆われていた。乗車は中央のホームから行い、多客時などを中心に駅員配置時は降車扱いは両端のホームで行うことが多かった。トイレは1番線側の降車ホームの端に設置されていた。 のりば1 ■北野線 帷子ノ辻・嵐山方面 2 ■北野線 帷子ノ辻・嵐山方面 通常は1番線のみ使用。駅員配置駅だが18時までの時間帯限定となっているため、降車時の運賃支払いは、駅員配置時間帯は改札口で、それ以外は運転士が車内で実施していた。
※この「旧駅舎時代」の解説は、「北野白梅町駅」の解説の一部です。
「旧駅舎時代」を含む「北野白梅町駅」の記事については、「北野白梅町駅」の概要を参照ください。
旧駅舎時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/26 02:41 UTC 版)
有人駅時代には駅事務室を有しており、売店としてキヨスクも出店していた。 1995年の無人化後、駅舎事務室跡にはテナントとして陶芸工房が入り、その後は臨時の仮設交番が入居していた。2012年3月に交番が新築移転したあとはテナントが無い状況が続いていたが、それ以降はテナントが入居することはなかった。駅入口脇には公衆電話が設置されていたが、改修に併せて撤去され駅前通りに移設された。
※この「旧駅舎時代」の解説は、「北長岡駅」の解説の一部です。
「旧駅舎時代」を含む「北長岡駅」の記事については、「北長岡駅」の概要を参照ください。
旧駅舎時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 02:48 UTC 版)
西口に大きな中央改札口があり、現在の金沢駅と同様に駅構内(東口)と駅ビル内にもそれぞれ改札口が設置されていた。 駅ビルは「福井ステーションビル」と称し、駅ビルの改札については駅ビルの営業時間内にのみ利用可能となっていた。ステーションビル内には宿泊施設「福井ステーションビルホテル」も所在していた。 また、駅舎内の通り抜けは一切できない構造のため、反対側に連絡する際は改札外にある地下道を通る必要があった。 また、ホームでは当地の名産品の一つ「ハープ」を使用した接近・発車メロディが採用されていた。JR西日本管内の北陸地方主要駅では1980年代後半から1990年代初頭にかけて富山・金沢・福井の順に、所在地とゆかりのある楽曲などをメロディに採用する取り組みが行われていた。この楽曲を作曲したのは当地出身でハープ奏者の雨田光示で、1990年12月25日から2000年2月8日の北陸線CTC化まで10年間採用されていた。採用当初は2曲が用意されていたが、使用終了時点では1曲のみが使用されていた。
※この「旧駅舎時代」の解説は、「福井駅 (福井県)」の解説の一部です。
「旧駅舎時代」を含む「福井駅 (福井県)」の記事については、「福井駅 (福井県)」の概要を参照ください。
- 旧駅舎時代のページへのリンク