日米野球
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日米野球(にちべいやきゅう[注釈 1]、英語:Major League Baseball Japan All-Star Series)は、日本プロ野球(NPB)とメジャーリーグベースボール(MLB)の選抜チームが日本で対戦したシリーズ戦。明治時代から行われていた歴史的な国際野球試合であり、野球の国際化に伴って2006年をもって一旦休止されたが、2014年に野球日本代表(侍ジャパン)の強化試合として復活した[1]。なお、野球日本代表は2013年から通年化され、概ね3月・11月(年度により開催のなかった年もある)に「侍ジャパンシリーズ」と銘打って、野球のナショナルチーム間の強化試合、あるいは日本野球機構(NPB)のチームとの強化試合に充てる場合もある。
注釈
- ^ MLBはアメリカ合衆国とカナダ連邦の野球リーグであり、MLBを米と表現するのは誤りだが、これは史上初のアメリカ以外の国に出来たMLB球団モントリオール・エクスポズが誕生する以前に訪日したMLBを米と表現した名残である。
出典
- ^ かつては隔年開催も…日米野球は“不要”なのか ベースボールキング (2016年11月16日) 2016年12月1日閲覧
- ^ a b c d e ALL STAR SERIES JAPAN 2002 日米野球公式プログラム 33頁 - 40頁 読売新聞東京本社発行
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p イオン オールスターシリーズ2004 日米野球公式プログラム 69頁 - 79頁 毎日新聞社発行
- ^ NTTコミュニケーションズ オールスターシリーズ2000 日米野球公式プログラム 85頁 - 95頁 毎日新聞社発行
- ^ 読売新聞 2008年8月15日「J・フォード監督の名も、米CIA前身の工作員名公開」
- ^ a b B.B.MOOK 日米野球交流史 ベースボール・マガジン社 2004年
- ^ “熊崎コミッショナー会見 11月に日米野球開催へ”. msn産経ニュース. (2014年2月7日) 2014年7月16日閲覧。
- ^ “日米野球8年ぶり復活 沖縄など6試合”. nikkansports.com. (2014年6月11日) 2014年7月16日閲覧。
- ^ “Major League Baseball returns to Japan in 2018 and 2019”. MLB.com (2018年5月1日). 2018年7月3日閲覧。
- ^ イオン日米野球2006公式プログラム(月刊メジャー・リーグ11月号増刊) 76頁 - 81頁 読売新聞社発行、ベースボール・マガジン社発売
- ^ 日本野球機構オフィシャルサイト 過去の外国チームとの試合
- ^ 中日新聞社は広島県を主な発行エリアとする中国新聞社と提携関係がある。
- ^ 2012 グループス MLB開幕戦 過去の日本開幕戦
- ^ 日本野球機構オフィシャルサイト プレシーズンゲーム結果3/25
- ^ 日本野球機構オフィシャルサイト プレシーズンゲーム結果3/26
- 1 日米野球とは
- 2 日米野球の概要
- 3 日米野球の主催新聞社
- 4 脚注
日米野球
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「スーパーベースボール (テレビ朝日系列)」の記事における「日米野球」の解説
2004年・2006年・2018年に放送。なお、2004年は非中日系のため通常は中継できないナゴヤドームで開催された試合も放送された。
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日米野球
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「DRAMATIC BASEBALL」の記事における「日米野球」の解説
2006年11月2日の巨人対大リーグの親善試合及び3日の開幕戦(いずれも東京ドーム)、7日の第4戦(京セラドーム大阪)、8日の最終戦(福岡Yahoo!JAPANドーム)を中継。
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日米野球
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1996年の日米野球では田中幸雄の負傷により補充選手として合流し、第5戦で3番ショートとして出場、5打数3安打2盗塁を記録。トータルで18打数10安打の打率.556と打ちまくった。盗塁も5つ記録し、守備でも続けざまに好プレーを披露。 2002年の日米野球では第1戦で2番ショートとしてスタメン出場していた石井琢朗に代わり代打で出場し安打を放つなど、3打数2安打を記録した。その後第2戦から最終戦まで1番ショートとしてフルイニング出場した。第6戦ではアリゾナ・ダイヤモンドバックスのミゲル・バティスタのストレートを本塁打とし、日米野球日本人選手では1964年の江藤慎一、1974年の高田繁と並ぶ3人目、28年ぶりの先頭打者本塁打を記録した。松井は「1本くらいホームランを打ちたいと思っていたから最高やね」と語り、バティスタは「リトル・マツイは機敏さだけでなく、パワーも十分さ。(ダイヤモンドバックスの本拠地がある)アリゾナに連れて帰りたいよ。きっと戦力になる。ボスにはオレが推薦するよ」と語った。4回にはアナハイム・エンゼルスのスコット・ショーエンワイスが投じた外角高めの球を左翼上段へ運び2点本塁打を放つ。日米野球日本人選手の1試合2本塁打は1984年11月13日の対ボルチモア・オリオールズ戦で宇野勝が打って以来18年ぶりであり、川上哲治、王貞治ら過去5人、回数にして8回目の快挙であり、左右両打席で記録したのは初めてだった。トータルで32打席で規定打席到達者では1位の打率.423(26打数11安打)、5四球、1犠飛、2本塁打、7打点、出塁率.500、長打率.731、OPS1.231の記録を残した。 日米野球は通算4度出場。通算成績は68打数26安打で打率.382。
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