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川上哲治
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/02/06 03:26 UTC 版)
川上 哲治(かわかみ てつはる[1]、1920年3月23日 - )は、熊本県球磨郡大村(現・人吉市)出身のプロ野球選手・プロ野球監督、野球解説者。
現役時代から“打撃の神様”と言われ、また監督としては読売ジャイアンツの黄金時代を築き上げ、V9(9年連続セ・リーグ優勝・日本一)を達成した。愛称は「打撃の神様」、「哲」、「ドン川上」。現役では最高齢のプロ野球解説者(NHK)だった。
妻は元宝塚歌劇団娘役の代々木ゆかり(在団1936年 - 1944年)。子はノンフィクション作家の川上貴光。
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- ^ 現役時代はてつじだったが、指導者時代にてつはるに変わった。
- ^ 阪神甲子園球場HPより。ただし川上本人は「先にやっていた選手がいた」と証言している。
- ^ 『川上哲治 もっこす人生』
- ^ 同『もっこす人生』
- ^ 『巨人軍5000勝の記憶』p.30~
- ^ 川上監督勇退後は廃止されたが、2004年には球団創立70周年を記念してレプリカが販売され、2007年には巨人が球団5000勝を達成したことを記念として、日本生命セ・パ交流戦で首脳陣と選手が当時のデザインを復刻したユニフォームを4試合限定で使用した(ホーム、ビジター各2試合ずつ、試合はすべて東京ドーム)。
- ^ 生来の口下手に加え、何事にも熱中する凝り性な性格と「肥後もっこす」と称される頑固で妥協しない性格だったため、周囲と衝突することも多く、現役時代の千葉、与那嶺要、広岡達朗とは犬猿の仲であったといわれる(広岡とは後に和睦したが、与那嶺は川上との過去の確執から巨人のOB会に参加していない)。
- ^ この頃のストレス解消法に「石磨き」があった。ビジターの試合で地方に遠征した際、宿泊先の旅館で中庭から適当な石を1個選び出し、それをひたすら磨き続けるものである。当初は石に対して特に興味があったわけではなく、「無心に石を磨いている間は野球の事を思い浮かべなくて済む」のが理由だった。後に、高じて趣味になっていったといわれている(1990年代後半の『週刊ベースボール』に載っていた記事から)
- ^ 1974年は10連覇を逃したが、優勝をしても退任する予定としていた。理想は、10年連続日本一を区切りに勇退することであった。
- ^ 詳しくは平松政次・平光清を参照。
- ^ 『江川になれなかった男たち』(岡邦行著・1983年7月15日・三一書房)p65-66 および『プロ野球 これがドラフトだ!』(岡邦行著・1989年11月30日・三一書房 ISBN 4380892492)p153 ‐ いずれも、当時スカウト部長だった前川八郎による証言。
- ^ 新宮正春『プロ野球を創った名選手・異色選手400人』(講談社文庫、1999年)P.180
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