日本におけるビビンバ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/29 01:23 UTC 版)
日本では焼肉店のご飯ものメニューの一部であった。その後、一部の牛丼チェーン店のメニューにもなった。 室町時代には「芳飯(ほうはん)」という、ご飯にかまぼこ、栗、おろししょうが、卵の薄焼き、菜をあえたもの、揚げたこんぶ、みょうが、花ガツオ、のりを掛けた料理があったという。京都の茶人・嘯夕軒宗堅が書いた『料理網目(もうもく)調味抄』(享保15年(1730年)刊)では様々な炊き込みご飯が紹介されている。京都の医師・杉野権兵衛が書いた『名飯部類』(享和2年(1802年)刊)の「骨董飯(ごもくめし)」では、炊きあがる寸前に具を入れて蒸らす料理が紹介されており、色とりどりの料理であった。この当時は具を煮た汁ごとご飯に掛けた料理が主である。骨董とはいろいろなものの寄せ集めであり、色鮮やかなものであった。 なお「骨董飯」については、明治41年(1908年)に早稲田大学高等師範部の熊本謙二郎が、旧制中学校3~4年生の使用を想定して書いた英文読解の学習参考書『TWELVE SHORT STORIES(骨董飯)』(有朋堂)の序文で、12編の英文を「骨董飯」にたとえて「精鮮の材料に充分火を加へたれば胃腸を害するの憂なく、滋養の効は確かなるべし」「別に備へたる訳文の『茶』と註釈の『薬味』とを適宜に用ひて、嚥下消化の助けとなさば」とし、たとえ話にされるほど普及していたことが窺える。
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