新疆省設置
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 19:33 UTC 版)
イリ返還をうけて清朝は1884年に新疆省を正式に設置し、イリ地方を含めた新疆全体に中国本土並みの行政が布かれた。清が自治権を認める従来のベグ官人制を廃止したため、ウイグル人は自治権を失い直接支配下に入った。 その後1940年代半ばまで新疆省省長は当地の軍最高指揮官(督弁)を兼任した。新疆省政府役人は当地を「桃源郷」になぞらえたといわれる。歴史学者の王柯は、その後、新疆省指導者の交代も省政府内部の暗殺やクーデタによるもので、「この種の政権の交代劇においても、ウイグル人は何の役割も果たせなかった」という。他方、入植した漢人人口が当時3,000人程度であった新疆南部では、省政府の人事権が及ぶのは県レベルまでであり、県レベル以下の行政運営はウイグル人が当たった。
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