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ウイグル人

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2011/09/26 09:14 UTC 版)

(ウイグル族 から転送)

维吾尔人
ئۇيغۇر / Uyghur / Уйғур
総人口

約840万人[1]

居住地域
中華人民共和国の旗 中国新疆ウイグル自治区
カザフスタンの旗 カザフスタン
キルギスの旗 キルギス
ウズベキスタンの旗 ウズベキスタン
言語
ウイグル語
宗教
イスラム教スンナ派[2]
関連する民族

テュルク

脚注

ウイグル人ウイグル語ئۇيغۇر Uyghur中国語维吾尔族ピンイン:Wéiwúĕrzú)は、主に中央アジアタリム盆地に居住するテュルク系民族。人口は1千万人弱。テュルク諸語ウイグル語を話すムスリム(イスラム教徒)で、伝統的にはオアシスに定住して農耕や商業に従事する。人種的には北東アジア人と古インド人の混血といえるが、個人差も大きく、見た目はトルコ人や漢族と区別がつきにくい者もいれば、インド人に近い者もいる。古代にモンゴル高原などで活動したテュルク系遊牧民族ウイグル(ウイグル)と区別するため、現代ウイグルまたは维吾尔と呼ばれる。

目次

居住地域

维吾尔人の居住地域はウイグル語で東トルキスタン(Shärqiy Turkistan)あるいはウイグリスタン(Uyghuristan)と呼ばれる。現在は中華人民共和国新疆维吾尔自治区となっており、大多数のウイグル人は中国の少数民族として維吾爾维吾尔)族と呼ばれている。また、カザフスタンキルギスウズベキスタンなどにも少数居住する。これらの大多数は、19世紀後半以降移住した人々の子孫である。

民族名の起源

現代ウイグル人の祖先と仮託されているウイグル人は自らの民族をテュルクと呼び中核集団をウイグルと呼んだが、東西トルキスタンオアシス都市の住民は、都市国家単位での緩い民族名称しかもたず、異教徒に対してはムスリム、他所者に対してイェルリク(土地の者)と呼ぶ程度で、熱狂的な民族自決意識は持っていなかった。しかし、ロシア革命により成立したソビエト政権は、民族政策として「民族別の自治」を掲げ、西トルキスタンでも遊牧諸集団やオアシス都市の定住民の間に無理矢理な「民族的境界区分」が引かれ、諸民族が「設定」されていった。西トルキスタンには、1881年のロ清イリ条約の締結の際にロシア領に移住したタリム盆地出身者が多数おり、彼らは1921年カザフスタンアルマトイにおいて、古代のウイグルという呼称を復活させ、自らこれを名乗ることを決定した。この呼称は中国統治下の東トルキスタンにも次第に知られるようになり、従来より当局が用いていた「纆回(ぼくかい)」という呼称を「ウイグル」に改めるよう求める運動がおこった。この改名運動は、盛世才政権のもとで受け入れられ、1934年、省府議会が正式にこの呼称を採用、「維吾爾」という漢字表記もこの時に正式に確定し、現在に至っている。

歴史

北アジアの古代遊牧民族としてのウイグルおよびその末裔による諸政権の歴史についてはウイグルを参照

近代のウイグルの歴史については新疆ウイグル自治区#歴史新疆省東トルキスタン共和国を参照

起源

現代ウイグル人は言語的にはウイグル語という共通した言語を話すものの、人種的にテュルク人と古インド人の混血である。これは彼らの住地であるタリム盆地が様々な民族の交流地であり、抗争地であったためであり、紀元前からすでにモンゴロイドと古インド人の混血が始まっていた。しかしながら、歴史的にタリム盆地の民族は東イラン語やトカラ語を話し、古インドやイランの人種に属す人々を元として幾波にも渡って北のトルコ民族や東の漢民族の支配を受けた、11世紀まではソグド語やトカラ語を使い続けた。彼らが現在のようにテュルク系の言語を話すようになった(テュルク化した)のは、9世紀から12世紀にタリム盆地東部を支配した天山ウイグル王国、タリム盆地西部を支配したカラハン朝においてである。以降、タリム盆地はモンゴルの侵入があったものの、先のテュルク化の影響でモンゴル化はせず、現代に至るまでテュルク系の言語を使い続けた。タリム盆地の言語はカラキタイ(西遼),チャガタイ・ハン国モグーリスタン・ハン国といった統一国家の支配が長らく続いたため、独自のテュルク語方言を形成し、現在のウイグル語が生まれた。

前史

20世紀

詳細は「東トルキスタン分離独立運動」を参照

清朝崩壊の混乱を突いて行われたイギリス・ドイツによる東トルキスタン分離工作は、多数の工作員と数百の軍勢を送り込んだが同調を得られず失敗に終わった。第二次東トルキスタン独立運動はソ連の後援をうけ、当時の新疆省当局による鎮圧行動を退け基盤を確立することに成功した。しかし、中華人民共和国が成立するとその統治下に入った。しかし、新疆が中国の統治下に入った経緯や新疆統治に不服な人々は国内外で独立運動を続けており、中国が抱える民族問題のひとつとなっている。






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