新疆省政府
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/21 15:54 UTC 版)
1911年に辛亥革命が起こると、新疆の漢人の間でも哥老会に浸透した革命派が反乱を起こした。イリの革命派は、前イリ将軍の広福を担いで軍事政権を樹立した。これに対し、新疆省長の袁大化は、楊増新の政治経験と軍事力を見込んで、彼を提刑按察司に任命し、ムスリム兵士の訓練にあたらせた。後に袁大化が新疆を追われた際に楊増新は督軍に推薦され、ハミのムスリム反乱や、各地の哥老会や農民の反乱の鎮圧にあたった。 一方で楊増新は、イリの革命政府と和平交渉を行い、巧みにイリ政権を自勢力に取り込んだ。楊増新は新疆の実権を掌握し、北洋政府から新疆省の支配権を認められた。1928年には、南京国民政府から新疆省長に任命された。こうして楊増新は事実上新疆を独裁的に統治し、反対派を弾圧した一方で、清朝時代の統治制度を維持し、17年間新疆に政治的安定をもたらした。
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