文学者としての側面
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/12 00:24 UTC 版)
「ミハイル・ロモノーソフ」の記事における「文学者としての側面」の解説
ロモノーソフはいくつもの頌歌を書き、またロシア語や詩法などの研究にも大きな業績を残した。ドイツ留学中に書いた「ロシア詩法についての書簡」ではロシア詩のアクセントについての基礎をまとめ、実際にその理論にもとづいて「トルコの要塞ホーチン占領を讃えて」という詩を書いている。1757年には「ロシア文法」をはじめとしたロシア初の文法書を著した。それまでのロシア語の文法書はすべて古代教会スラヴ語についてのものだったのだ。さらに彼は古代教会スラヴ語だけの文章、古代教会スラヴ語とロシア語がまじった文章、ロシア語だけの文章にはそれぞれの固有の文体(「三文体論」)があると主張し、それらの関係をととのえた。さらに1760年、ロシア史の本を出版する。また、未完に終わっているが、アエネイスやウェルギリウスを意識したピョートル1世を称える著作にも取り組んだ。
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