揺れる沖縄空手
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 00:28 UTC 版)
1982年(昭和57年)、くにびき国体(島根県)の予選も兼ねた県空連主催の第一回空手道選手権大会が開催された。そして、1987年(昭和62年)、沖縄県で海邦国体が開催され、沖縄勢は型で全種目優勝を果たすなど空手道競技9種目中5種目を制覇して、本場の面目を保った。 しかし、当初全空連に加盟して内部から改革すると意気込んでいた県空連の改革姿勢も、本土側によって無視され不発に終わった。特に国体における指定型は、当初全空連(江里口栄一専務理事)は首里系4つ、那覇系4つの「名称のみの指定である」と沖縄側へ説明していたが、実際は本土四大流派の型であり、同一名称でも沖縄の型で試合に出ることはできなかった。この事実を知らされショックを受けた県空連は全空連に要望書を提出したが、沖縄に型の権威を奪われることを警戒する本土側によって黙殺された。 こうして、国体参加を通じて沖縄空手を本土に広めるとした沖縄側の理想は不発に終わり、むしろ近年では競技空手にいそしむ若手を中心に本土側の型や型解釈が広まってきており、沖縄空手はそのアイデンティティーをめぐって揺れている。
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