挿入作品
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「和解 (志賀直哉の小説)」の記事における「挿入作品」の解説
「夢想家」(「空想家」)について池内輝雄「和解論」(『志賀直哉の領域』有精堂出版、1990)では、作中に登場する「夢想家」(「空想家」)は、『暗夜行路』の前身である『時任謙作』を指し、以下の4点を最も関係深いとしている。 「死ね〱」(『志賀直哉全集 第二巻』) 「暗夜行路草稿」二・三・五(『志賀直哉全集 第六巻』)は、題名および実質的内容に近く、なおかつ具体的な記述がある。 「暗夜行路草稿」一二・一三・一四(『志賀直哉全集 第六巻』)は、題名および実質的内容に近い。 「暗夜行路草稿」二一(『志賀直哉全集 第六巻』) 『志賀直哉全集 第一五巻』のノート一二に「空想家」という記述がある。 「廻覧雑誌に書いた短編」2篇について作中の九章に出て来る「廻覧雑誌」に送った幾つかの長編と短編のうち、順吉は2編の短編をMに見せる。この2編のうち、Mが「発表する事をすすめた」方の短編は「城の崎にて」(1917年(大正6年)5月、『白樺』第8巻第5号に発表)である。そしてその「翌々月」に発表した短編は、「佐々木の場合」(1917年(大正6年)6月、『黒潮』に発表)である。 「女中が懐妊する」話について「和解」九章にあらすじが紹介される女中の懐妊をめぐる作品は、「好人物の夫婦」(1917年(大正6年)8月、『新潮』に発表)である。発表の際、末尾に「(大正六年七月十日)」と執筆年月が記載されている。ちなみに志賀が雑誌『新潮』に登場するのはこの「好人物の夫婦」が最初である。 「或る親子」について「或る親子」は、1917年(大正6年)8月5日発行の『読売新聞』(第14482号)日曜付録の欄に発表された。1918年(大正7年)4月、春陽堂刊行の「新興文藝叢書」の一冊、『或る朝』に収録。「和解」の作中にも、「或る親子」の冒頭にも、この作品は自分が書いたものではないと断ってある。「続創作余談」の中で、尾道で知り合いになった「藤井福一」という人が書いたものだと明かしている。
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