ポチョムキン=タヴリーチェスキー公 (戦艦)とは? わかりやすく解説

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ポチョムキン=タヴリーチェスキー公 (戦艦)

(戦艦ポチョムキンの反乱 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/23 09:34 UTC 版)

ポチョムキン=タヴリーチェスキー公ロシア語: Князь Потёмкин-Таврическийクニャースィ・パチョームキン・タヴリーチェスキイ)は、ロシア帝国で建造された戦艦である。艦名は「ポチョムキン=タヴリーチェスキー公爵」にちなむ。ロシア帝国海軍では当初は艦隊装甲艦Эскадренный броненосец)、のち戦列艦Линейный корабль)に分類された。ロシア第一革命の時期に水兵による叛乱が起こったことで世界にその名を知られた。特に、ポチョムキンという略称で有名である[艦名 1]


注釈

  1. ^ 当時のユリウス暦による。現代のグレゴリオ暦では6月27日
  2. ^ 映画『戦艦ポチョムキン』の劇中では、「が湧いた肉」と描写されている。
  3. ^ ロシア語名のアファナーシイ・マチュシェーンコでも知られる。
  4. ^ リチャード・ハフ著、由良君美訳『戦艦ポチョムキンの反乱』講談社、2003年で「軽巡洋艦」としているのは誤り。
  5. ^ 日本語表記については、ポクローフスキイ著、岡田宗司訳『ロシヤ史』学芸社、1936年、p.419「『ポチョムキン』を『パンテレイモン』と改名した」のくだりを参照。ポクロフスキー著、岡田宗司監訳『ロシア史』勁草書房、1976年、p.251でも同様。リチャード・ハフ著、由良君美訳『戦艦ポチョムキンの反乱』講談社、2003年の訳と解説は誤り。聖人の名前なので、平民を馬鹿にしたものなどではまったくない。
  6. ^ セルゲイ・M・エイゼンシュテイン著、エイゼンシュテイン全集刊行委員会訳『エイゼンシュテイン全集 第1部人生におけるわが芸術 第2巻 戦艦ポチョムキン』キネマ旬報社、1974年、p.307では聖パンテレイモンとしている。
  7. ^ 聖人に敬意を表して聖パンテレイモンスヴャトイ・パンテレイモンСвятой Пантелеймонスヴィトーイ・パンチリェーイマン)としばしば呼ばれるが、ロシア連邦海軍黒海艦隊によれば、これは正式な名称ではない。
  8. ^ あるいはモスクワ大公国とも。
  9. ^ およそ19 km。
  10. ^ ヤウズ・スルタン・セリムの乗員や指揮は事実上ドイツ軍のものであると考えられていたため、ロシアではこの艦のドイツ名であるゲーベンで通していた。
  11. ^ 当時のユリウス暦による。現代のグレゴリオ暦では4月13日
  12. ^ 日本語表記については、ポクロフスキー著、岡田宗司監訳『ロシア史』勁草書房、1976年参照。
  13. ^ 当時のユリウス暦による。現代のグレゴリオ暦では5月11日
  14. ^ 当時のユリウス暦による。現代のグレゴリオ暦では12月29日
  15. ^ この布告は『レーニン全集』に入っているが、レフ・トロツキーの起草であることが明らかになっている。
  16. ^ 当時、ウクライナ国海軍には活動中の戦列艦ヴォーリャのほかに、建造中のソボールナ・ウクライナと修理中のインペラトルィーツャ・マリーヤがあった。

出典

  1. ^ 艦名の日本語文献における表記は、次のような状況。
    ポチョムキン・タヴリーチェスキー公
    江口朴郎野原四郎林基監訳『ソビエト科学アカデミー版 世界史 近代9』商工出版社、1963年、p.427-428
    田中陽児、倉持俊一、和田春樹編『世界歴史大系 ロシア史2』山川出版社1994年
    ポチョムキン・タヴリーチェスキー公爵
    ポクロフスキー著、岡田宗司監訳『ロシア史』勁草書房1976年、p.244
    ポチョムキン・タヴリチェスキー公爵
    セルゲイ・M・エイゼンシュテイン著、エイゼンシュテイン全集刊行委員会訳『エイゼンシュテイン全集 第1部人生におけるわが芸術 第2巻 戦艦ポチョムキン』キネマ旬報社1974年、p.4、5(脚注解説)、67、303、304、308(p.303、304、308は山田和夫著の「解説」章)
    リチャード・ハフ著、由良君美訳『戦艦ポチョムキンの反乱』講談社2003年
    ポチョムキン・タヴリチェスキー公
    セルゲイ・M・エイゼンシュテイン著、エイゼンシュテイン全集刊行委員会訳『エイゼンシュテイン全集 第1部人生におけるわが芸術 第2巻 戦艦ポチョムキン』キネマ旬報社、1974年、p.306
    ポチョムキン公
    ポクローフスキイ著、岡田宗司訳『ロシヤ史』学芸社、1936年、p.418
    ポチョムキン公爵
    ポクロフスキー著、岡田宗司監訳『ロシア史』勁草書房、1976年、p.250
    ポチョムキン・タヴリーチェスキー
    ポクロフスキー著、岡田宗司監訳『ロシア史』勁草書房、1976年、p.240
    クニャージ・ポチョムキン・タウリチェスキー
    阿部安雄著「ロシア/ソビエト戦艦建造史」『世界の艦船』459号、1992年海人社、p.119
    筑土龍男著「ロシア/ソビエト戦艦の技術的特長」『世界の艦船』459号、1992年、海人社、p.129
    クニャージ・ポチョムキン
    富岡定俊編、財団法人資料調査会著『ロシア大革命史4 第一次革命より第一次大戦へ』ロシア大革命史刊行会、1958年、p.43
    クニャージ・ポチョムキン・タブリチャスキー
    富岡定俊編、財団法人資料調査会著『ロシア大革命史4 第一次革命より第一次大戦へ』ロシア大革命史刊行会、1958年、p.43。「チャ」は誤り。
    クニャーズ・ポチョムキン・タブリチャスキー
    富岡定俊編、財団法人資料調査会著『ロシア大革命史4 第一次革命より第一次大戦へ』ロシア大革命史刊行会、1958年、p.44。「ズ」と「チャ」は誤り。
    ポチョムキン
    和田春樹編『新版世界各国史22 ロシア史』山川出版社、2002年
    ポクローフスキイ著、岡田宗司訳『ロシヤ史』学芸社、1936年
    外川継男著『世界の歴史18 ロシアとソ連邦』講談社、1978年、p.289-290
    倉持俊一著『世界現代史29 ヨーロッパ地域』山川出版社、1980年、p.127
    和田春樹著『ヒストリカル・ガイド ロシア』山川出版社、2001年、p.126
    川端香男里ほか監修『ロシアを知る事典』平凡社2004年、p.820
    秋山信雄著「ロシア/ソビエト戦艦はいかに戦ったか」『世界の艦船』459号、1992年、海人社、p.137
    京大西洋史辞典編纂会編『新編西洋史辞典 改訂増補版』東京創元社1993年
    芳賀登編集代表『世界歴史大事典18』教育出版センター1995年(項目の執筆者:木崎良平
    筑紫哲也監修、角川書店編集部編集『Ourtimes20世紀』角川書店・日米共同出版、1998年、p.67
    『20世紀年表』毎日新聞社1997年、p.97
    樺山紘一ほか編集委員『クロニック世界全史』講談社、1994年
    『二十世紀2 古き良きヨーロッパ』中央公論社1977年、p.259
    土肥恒之著『興亡の世界史14 ロシア・ロマノフ王朝の大地』講談社、2007年、p.293
    梅田良忠岩間徹編集担当『図説世界文化史大系12 東欧・ロシア』角川書店、1959年、p.279
    『世界歴史大系12』1957年、p.82
    岩間徹編『世界各国史4 ロシア史』山川出版社、1979年、p.399-400
    ほか多数
    ここまで、いずれの書籍においても略称である「ポチョムキン」は見られる。
    ポチョームキン=タヴリチェスキー公爵
    イ=ア=フェドーソフ著、倉持俊一、加藤雅子訳『全訳世界の歴史教科書シリーズ20 ソヴィエト連邦 その人々の歴史II』、p.65
    ポチョームキン
    稲子恒夫編著『ロシアの20世紀』東洋書店、2007年、初版、p.35、p.106。ロシア語のアクセント位置を長音符で表すべき旨、はしがき『人名と地名』(p.7)にて述べたうえで、長音符を用いている。
    コンスタンチン=タルノフスキイ著、倉持俊一、加藤一郎訳『図説 ソ連の歴史』山川出版社、1982年、p.62-63
    イ=ア=フェドーソフ著、倉持俊一、加藤雅子訳『全訳世界の歴史教科書シリーズ20 ソヴィエト連邦 その人々の歴史II』、p.65
  1. ^ 稲子恒夫編著『ロシアの20世紀』東洋書店、2007年、p.106参照。
  2. ^ "Ivan Beshoff, Last Survivor of Mutiny on the Potemkin", New York Times, October 28, 1987
  3. ^ セルゲイ・M・エイゼンシュテイン著、エイゼンシュテイン全集刊行委員会訳『エイゼンシュテイン全集 第1部人生におけるわが芸術 第2巻 戦艦ポチョムキン』キネマ旬報社、1974年、p.82参照。
  4. ^ セルゲイ・M・エイゼンシュテイン著、エイゼンシュテイン全集刊行委員会訳『エイゼンシュテイン全集 第1部人生におけるわが芸術 第2巻 戦艦ポチョムキン』キネマ旬報社、1974年、p.112参照。
  5. ^ セルゲイ・M・エイゼンシュテイン著、エイゼンシュテイン全集刊行委員会訳「十二使徒号」『エイゼンシュテイン全集 第1部人生におけるわが芸術 第2巻 戦艦ポチョムキン』キネマ旬報社、1974年、p.22-79。論文自体は1945年に書かれたもの。
  6. ^ セルゲイ・M・エイゼンシュテイン著、エイゼンシュテイン全集刊行委員会訳『エイゼンシュテイン全集 第1部人生におけるわが芸術 第2巻 戦艦ポチョムキン』キネマ旬報社、1974年参照。
  7. ^ Google Books
  8. ^ [1] 国立国会図書館検索結果


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