戦時中の学生野球弾圧
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/26 08:36 UTC 版)
「野球ノ統制並施行ニ関スル件」の記事における「戦時中の学生野球弾圧」の解説
訓令によって、中学校の全国大会の開催や大学野球連盟の設置に文部省の承認が必要とされることとなった。すなわち、訓令によって文部省は学生野球の生殺与奪の権限を握ることとなったのである。 1943年(昭和18年)3月、太平洋戦争の戦局の悪化に伴い「戦時下学徒体育訓練実施要綱」が文部省により制定され、中学校のスポーツの全国大会と大学のスポーツのリーグ戦の開催が禁止される。これを受けて同年4月6日、北沢清・文部省体育振興課長代理から内村祐之・東京大学野球連盟理事長代理に対して「連盟解散通知書」が手渡された。4月28日、文部省の通知書に従って、東京大学野球連盟は解散した。 戦局の悪化に伴う文部省の学校体育・スポーツ政策の転換があったことは確かであるが、文部省の学生野球弾圧を法的に可能としたのが本訓令であった。
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