うちむら‐ゆうし〔‐イウシ〕【内村祐之】
内村祐之
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/06 03:48 UTC 版)
内村 祐之(うちむら ゆうし、1897年11月12日 - 1980年9月17日)は、日本の医学者、精神科医。専攻は臨床精神医学、神経病理学。東京大学名誉教授、日本学士院会員。プロ野球コミッショナー。
- ^ 近藤唯之 『阪神サムライ物語』(現代企画室、1976)
- ^ 「野球もできる、学問もできる」と一高の投手として内村の顔写真が新聞に掲載された。:内村美代子(1985)、190-199ページ
- ^ 6月22日の朝日新聞には「内村選手に鑑三翁の嫁選び、眼鏡にかないしみよ子嬢、神にかしずく目白の才嬢」と題する写真入りの五段抜きの記事が掲載された。内村美代子(1985)、199ページ
- ^ 父内村鑑三は「魂の医師の次に、心の医師が内村家に出るのはいいことだ」と心から喜び、また「心の悩みを解決するのは宗教と医学との共同作業だ」と言っていた。:内村美代子『晩年の父内村鑑三』(1985), 22-23ページ
- ^ 斎藤茂吉が前年に同じ研究所で同じシュピールマイヤーに師事していたので、出発前に内村夫妻宅を訪れている。:内村美代子(1985)、40ページ
- ^ 関根正雄『内村鑑三』195ページ
- ^ 『日本史有名人の子孫たち』314-316ページ
- ^ 内村美代子(1985年)27ページ
- ^ 新木諒三君を偲んで日本音響学会誌 31巻12号 1975
- ^ 博士論文書誌データベース
内村祐之
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医学者、精神科医。内村鑑三の長男。健行や茂吉の後輩医師。著書に自伝『わが歩みし精神医学の道』(1968年)があり、当時の松沢病院の医局の様子を、「細心・緻密な黒沢良臣医長と豪放・磊落な橋健行医長」の2人が「好個のコンビをなし、このすぐれた両医長のもとで、医局は、好学と調和と勤勉さとに満ちた好もしい空気をかもし出していた」と綴っている。
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