戦時下におけるバス事業の統合
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 02:06 UTC 版)
「道南バス」の記事における「戦時下におけるバス事業の統合」の解説
太平洋戦争の開戦によって、タイヤや金属などの修理部品などの入手は困難になった。さらに、バス事業者に対し、本当に必要であると認められる路線のみに規制された。市内線については、室蘭が軍需工業地域だったため、運行日数を極端に減らしたうえで運行し、その他の地域は休止を余儀なくされた。 このような状況下で、政府はバス会社の統合方針を正式に発表した。北海道では、1942年に「北海道における旅客自動車運輸事業統合要綱」を発表。室蘭地区においてもそれは例外ではなく、室蘭自動車株式会社や登別温泉株式会社などと統合。社名を道南乗合自動車株式会社とすることとなった。 戦争が開始してからも、避難訓練を繰り返しながら運行を続けていたが、1945年7月15日に艦砲射撃を受けてからは、交通網が麻痺。殉職者1名、負傷者も多数発生する事態となった。
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